日大アメフト部の事件が象徴する日本社会の負の側面とは
「日大アメフト部宮川泰介選手の会見に見るデジャビュ -日本社会の負の側面」というタイトルで、以前記事を二件ほど書いた*1が、今日は同じテーマで、もう少し深く突っ込んで考えてみたい。
今回の事件を一般化し、日本社会全体に広げて語る場合に、まず念頭に置くべきなのは、
「個別の事例を過度に一般化して語るのは時と場合によっては扇動、風説の流布につながる」
ということだ。実験科学の分野であれば、ある新説が提示された際に、世界中の科学者たちが実際に再現実験を行うことで、その説が正しいか否かを徹底的に評価、批評する。よって、「科学的に正しくない新説」が(少なくとも科学者コミュニティにおいて)、主流となり続けることはあり得ない。
残念ながら、自然科学外の多くの分野においては、自分たちにとって都合のよい事実や史実を抽出後、都合のよい物語を導き出し、ある特定の社会に属する人々にその物語を啓蒙する事例が、いくつも見られる。知的訓練を受けた頭脳明晰な学者であれば、特定の事実をつなぎ合わせて最もらしい論理構造を付与し、新たな物語を紡ぎだすことなど、御手の者なのだろう。
少なくともアカデミアに属する学者がそのような「操作*2」に従事するようなことは、知的に誠実な態度ではないし、恥ずべきことだが、たとえば全体主義国家では、ごくごく当たり前に見られるし、日本のような自由で民主的な国家においてもその傾向は存在するようだ*3。
日本社会に依然亡霊のように存在し続ける、負の構図とは
まず、今回の日大アメフト部事件で見られた構図を、恣意的ではなく冷静、客観的に分析したい。以下の分析は、個人の主観に基づく恣意的操作でないかは、是非厳しく批評されるべきものである。
- 上位層(≒ほとんどの場合で年長者)が絶対的な権力を保持している。
- 上位層は組織の本来の存続目的や理念を忘れ去ってしまい、自分の権力強化や自己保身を第一義的な行動原理とする。
- 基本的に下位の者は上位層の命令に従うよりほかなく、理不尽かつ非合理的な命令であったとしても反論できない。
- 下位の者は一種のマインドコントロールの状態に置かれ、その組織から抜け出すという発想を自ら持つことができない。
- 上位層の命令に基づく実行の結果が失敗に終わった場合、上位層は自らの責任を巧みに逃れようとし、実行者である下位の者に押し付ける。
といったところか・・・。(今後適宜上記分析結果は修正、加筆していきたい)
以上の特徴を有する構図が存在しないか、という観点で広く日本社会及びこれまでの日本の歴史を見直してみたとき、当てはまる例はいくつもありそうである。
(また明日に続きます)