salmontiskunの日記

高校卒業まで田舎育ちで、そこそこ世間的に評価の高い都内国立大学および大学院に進学、その後都内IT企業で企画事務担当として働くアラフォーサラリーマンのブログです。特にテーマは決めてませんが、奨学金返済、マインドフルネス、などなど、「精神的、経済的、肉体的に幸せに生きるためには・・・」というテーマでブログを書いていきます。

「オウム事件真相究明の会」が追求したい真相って何だろう。

「オウム事件真相究明の会」発足 -オウム真理教と私の記憶 - salmontiskunの日記の続きである。

率直に言って、私は「オウム事件真相究明の会」のニュースを聞いた時から大きな違和感(もっと言えば胡散臭さ)を感じていた。
私がどのような点で違和感を感じたか。
まず本会関係者の発言を確認し、この会の設立目的や、やろうとしていることを把握しつつ、私が率直に感じたことを述べていきたいと思う。

真相究明の会の呼びかけ人の一人 雨宮処凛氏の発言

雨宮氏は、ハフポスト日本語版の「オウム事件真相究明の会、立ち上げ。」で、以下の通り述べている。

なぜ、地下鉄にサリンが撒かれたのか。なぜ、あれだけ多くの人の命が奪われ、多くの人が人生をメチャクチャにされなければならなかったのか。なぜ、一介の宗教団体があのような事件を起こすに至ったのか。
これらの問いに裁判が答えたのかと問えば、答えは明らかにNOである。

オウム真理教の裁判では、多くの元弟子が審理の場で

  • どういう経緯でオウム真理教に帰依することになったか
  • どうして麻原彰晃の命令に言われるがままに従う羽目になってしまったのか

について詳細に証言し、一部は手記として出版された。(例 林郁夫氏の著作「オウムと私」)

彼らの証言から、麻原の荒唐無稽な世界観およびその世界観に基づく卑劣なテロ行為がどのように正当化され、どのようなプロセスで実行されるに至ったかなども明らかになった。オウム真理教の裁判を通じ、かなりの部分で真相が明らかになった。私自身、人生に思い悩み、何らかわかりやすい断定的な回答が欲しいと思う時があるが、カルトにだけは救いを求めないようにしよう、と強い信念を持つことができ、オウム事件を教訓として学んだことは多々あった。

なので、「答えは明らかにNO」という断定的な雨宮氏の表現には強烈に違和感を感じる。真相究明の会は、裁判で明らかになった事実は自分が欲する事実とはかけ離れており、自分の欲する真相を求めることが目的で、ただクレームをつけているだけのようにも見えてしまう。もしくは単純な好奇心であさでも言おうか。少なくとも裁判で明らかになった事実を丹念に読み込み、それを下敷きとした上で、どの部分が不十分かを述べて頂かないと「明らかにNO」という表現だけでは何が不満かもわからない。

適切な法制度に基づき、適切なプロセスで裁かれた麻原彰晃の刑の執行を「自分が求める真相を欲するため」という理由で妨害するのは法治国家のあるべき姿としていかがなものか、と思うのだ。

再び雨宮氏の発言を引用する。

このような「証言」から浮かび上がるのは、麻原に重篤精神障害がある可能性だ。麻原と面会した精神科医は、適切な治療によって精神状態の改善及び、訴訟能力の回復が見込まれると述べている。このまま死刑が執行されてしまえば、真実は永遠に闇の中だ。

もちろん、公判前から麻原は人をけむに巻いたり小馬鹿にする対応に終始し、公判が始まってから途中から奇行も目立つようになり、まともな証言がなされないまま審理が終了したのは事実だ。
麻原にしか知りえない事実はあろうし、麻原の動機や思いは麻原にしかわからない部分もあろうと思う。もしも麻原の頭の中を何等か覗き込む手段があれば、新たに判明する事実もあると思う。その事実がどれほど重要で意味があるかはさておき。

ただ、今現在「重篤精神障害にある可能性がある」麻原に対して「適切な治療」を施すことによって、10年以上患っていた麻原の精神状態の抜本的な改善が見込めるものなのだろうか。私は精神科医ではないし、断定的なことは言えないが、素人目に見ても回復の可能性が高いとはとても思えない。精神的に廃人となった人間がそう簡単に回復するものでもないと思う。

万一麻原の精神状態が訴訟能力を有する程度に改善したとしよう。ここで彼の公判前公判中の不誠実な態度や発言を思い起こした時、精神状態が改善したところで、彼がまともな証言をするだろうと期待するのは些か楽観的すぎると思う。それとも精神病患いを境に、麻原の人格が急に変化するとでも言うのだろうか。もしくは彼に自白剤でも飲ませるのか。あり得ない。

なぜ急に今「真相究明」などと言い始めるのだろう

何より私が一番強烈に違和感を感じるのは「なぜ麻原の死刑執行を目前に控えた2018年の今になって、急に真相究明を標榜する会が組織として立ち上がったのか」という点、および「なぜ結果的に麻原の延命につながる活動を今になって多くの文化人が推進してるのか」という点だ。

麻原の死刑判決は、2006年9月に最高裁にて確定している。再審請求も2013年5月に退けられている。
本当にオウム事件に興味を持ち、彼らがいう「真相」を明らかにしたいと本当に思っているのであれば、死刑判決が確定した2006年9月から活動を開始すべきだし、せめて再審請求が退けられた2013年5月には真相究明の会が発足していれば、まだ私もまだ変な邪推を持たなかったと思う。

なぜ今なのか。
私にはどうも、ここ最近メディアでの発言が目立つ麻原の娘、松本麗華氏の発言に変に影響されているだけにしか見えない。
私の(幾分勝手な)推測は、また次回記す。(to be continued)

「オウム事件真相究明の会」発足 -オウム真理教と私の記憶

2018/6/4 「オウム事件思想究明の会」が発足した・・・らしい。
呼びかけ人、賛同人には多種多様な文化人が含まれ、その中には、佐藤優氏、田原総一朗氏、香山リカ氏、小林節氏など、テレビ、ラジオ、映画、雑誌新聞その他メディアで姿を拝見する機会の多い有名人の方々が多数含まれている。それなりの社会的影響力を持った団体と思われる。

オウム真理教と私の記憶

オウム真理教が起こしたとされる松本サリン事件や地下鉄サリン事件が起こったのは1994年~1995年。当時私は中学生~高校生の時期にあたり、オウム真理教が引き起こした数々の事件は、私の記憶にも鮮明に残っている。1995年以降は、ジャーナリストの江川紹子氏や有田芳生氏といった方々の姿をテレビで目にする機会も多く、彼らがテレビで上祐史浩氏や村井秀夫氏などと言ったオウム真理教上級幹部と意見を戦わせる番組などは、当時視聴率が取れる格好のネタだったのだろう、連日放送されていた*1

地下鉄サリン事件が起こった日は確か高校春休み期間中のある一日だったと思う。大学から一時帰省していた姉と二人で自宅でテレビで映画を見ていたところ、急に番組が特番に切り替わった。地下鉄を使って通勤途中のサラリーマンが地上に脱出し、頭を抱えて座り込んでいるという衝撃的なシーンを目にすることになった。当日はオウム真理教地下鉄サリン事件を引き起こしたとは当初誰も思っておらず*2、姉と二人で怯えつつ、半笑い*3で特番を見続けた記憶がある。

折しも地下鉄サリン事件が起こったのはバブル崩壊後まだ間もない1995年。その年の1月に未曽有の阪神淡路大震災が発生し、世間の動揺も未だ収まっていない中わずかその約2か月後に深刻な事件が発生し、日本は今後どうなってしまうんだろうかという漠とした不安を持った日本人は多かったのではないかと思う*4

オウム真理教の裁判から私が感じたこと、学んだこと

オウム真理教が私個人に対して与えた印象は大きかった。私自身主に新聞、最近はインターネットを通じてオウム事件のその後の進展を常に追っていた。事件の実行犯とされる上級幹部たちは裁判の場で数々の詳細な証言を行い、その様子がつぶさにメディアで放送された。

私の印象に最も残っているオウム真理教の実行犯は、林郁夫氏である。慶應義塾中等部からエスカレーターで慶應義塾大学医学部に進学し、順風満帆の人生を送っていたはずのエリート医師であった林郁夫氏。運悪くオウム真理教に出会い関わってしまったがために、人生が180度暗転、今や悔恨と追悼の日々を送るだけになってしまっている。
多くの被害者がいる中、表現には気を付けないといけないが、私は林郁夫氏を本当に気の毒に思っている。また林郁夫氏をマインドコントロールし、利用するだけ利用する一方で、自己保身と自己利益のことしか考えない麻原彰晃は万死に値すると思う。

林郁夫氏の裁判での証言には私の心はただただ奪われた。
時にかつての師麻原彰晃氏を呼び捨てにし、地下鉄サリン事件の全貌および教団の実態を極めて微細な部分まで詳細に説明し、被害者の方々への悔恨の念を慟哭を交えながら誠実に証言する姿は、私だけではなく多くの心を打ったようだ。
サリン事件の被害者や検察官、裁判官とて例外ではなく、
被害者は

改悛の情がある

として死刑を望まず、また裁判官は

己の記憶に従い、ありのままに供述していることが認められる。極刑が予想されるなか、臆することなく決定的に不利な事項にまで及んでおり、覚悟したうえでの胸中の吐露であって、被告人の反省、悔悟の情は顕著である。

として実行犯の中で唯一死刑を免れることになった。

林郁夫氏をはじめとするその他実行犯の証言が裁判で明らかになるにつれ、私自身「カルト」というものの恐ろしさを肌感覚で感じることができた。日本では宗教団体全般をうさん臭くとらえ、忌避的に接する傾向があるが、恐ろしいカルトは自分の身近なところに存在するのだ、と。
傍目には順風満帆に生きているように見える、どちらかと言えば真面目な人が、人生の意味や善き生き方について思い悩んだ際に、偶々運悪く麻原彰晃のような悪意ある恐ろしい人間に出会ってしまうと、簡単にマインドコントロールされてしまうことも知った。
私自身属性としてはオウムの上級幹部と同じような学歴を経てきたこともあり、一歩間違えると自分が実行犯になり、社会に恐怖をもたらす存在となった可能性もあるのだ、と。

一連のオウム裁判で明らかになった事実やもたらされた教訓は多く、日本社会としてこの裁判の記録は有用なものであり、同様の事件が起こることのないように道標として事ある毎に参照されるべきもの、と思う。

以上を踏まえ、今回発足した「オウム事件真相究明の会」の目的や存在意義について今一度精査し、思うところを述べていきたいと思う。(to be continued)

*1:余談だが、山梨県の「上九一色村(かみくいしきむら)」というオウム真理教の本部が置かれていた自治体の名称を、この機会に覚えたという人も多いと思う。いしきむら」という名称を知っているかどうかで、その人の生まれた年代をある程度予測できるかもしれない(笑)・・・

*2:また、サリンという言葉も当日は聞くことはなかった

*3:「半笑い」という表現に気を悪くされる方もいらっしゃるかもしれません、申し訳ありません。当時の映像はただただ衝撃が強すぎ、現実感を持って映像を見続けることができず、自然に意味不明な半笑いが生じたのです

*4:確か1995年末に発表されたこの年の感じは「震」だったと思う

自分の愛する故郷の劣化の悲しみ

田舎での子育て -自分の子ども時代を振り返りながら考える - salmontiskunの日記の続き。

前回述べたように、私の高校までの故郷での暮らしは大きな問題に出くわすこともなく、恵まれたものであった。両親はともかく、私自身は実家周辺の集落の人々との関係において、大きな問題に直面することもなく、幼少期から良い友達にも恵まれ、大自然の中で伸び伸び遊びながら満ち足りた子供時代を過ごすことができた。
故郷を出て20数年が経った今でも、過去を懐かしみ、故郷の子供時代の心象風景を思い出すだけで脳内で幸せなホルモンが分泌されるのか、東京での日々の生活のストレスが原因でささくれだった精神が癒される感覚を味わえる。
年に数度帰省し、故郷在住の知人たちと会ったり、思い出の場所を巡ったりする際にも、同じように癒しを感じるし、東京の生活では中々味わえない安らぎを覚える*1

愛すべき安らぎ、癒しの源泉となる故郷が自分にはあり、必要な時にいつでも戻ることができる。幸せなことだ。

自分の故郷は昔の自分が知っている姿で自分が死ぬまで存在し続けてほしいものだが、もちろんそれは無理な話だ。過疎化最前線の私の故郷。限界集落と言ってもよく、このまま年月が経つと集落そのものが消失してしまいそうという恐怖があるし、その恐怖は妄想などではなく、かなりの確率で現実になりそうだ。私の心が締め付けられる。

勿論風景が変化するのは田舎だけではない。
大都会東京でもまたニューヨークに限らずNew Yorkでも上海でもどこでも、重要文化財でもない限り、過去のものは適宜取り壊され、新しいものに取り換えられていく。
ここで都会の変化は、たとえば新宿駅再開発のように、基本的に発展とか近代化などポジティブな印象をもたらすものである一方で、田舎の変化は衰退や劣化と同義である点が根本的に異なると思う。
言い換えると、変化が到来した後、そこに人がいるかいないかもしくは人の活動の息吹が今でも感じられるか否か、は大きな差だと思う。*2

平成27年度版 総務省発行「過疎対策の現状」によれば、

過疎地域の人口は、全国の8.9%を占めるに過ぎないが、市町村数では半数近く、面積では国土の6割弱を占めている。
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とのこと。故郷のコミュニティおよびそれに紐づく良き思い出がガタガタと崩壊していく恐怖に怯えているのは自分だけではないと安堵する一方、その総数は国土の6割弱を占める地域に深い所縁のある人たちであり、少なく見積もっても一千万万のオーダーでいそうだと思うと、その数字の巨大さに恐れおののく。

水田が畑に変わり、畑が荒地に変わっていく・・・・

自分自身の故郷の話題に戻す。

私が寂しく切ないと感じる故郷の劣化、衰退の具体例の一つは、幼き頃無邪気に遊んだ遊び場である田園(水田)の風景が失われつつあることだ。
付近を流れる清流と清流に沿って広がる一面の田園の風景(特に水田)であった。水が張られる前にはレンゲ草や土筆摘み、水が張られた後にはオタマジャクシやタニシとりに興じたあの幸せな日々。

幼き頃は何の根拠もなく、その光景は永続するであろうと思っていたのだが・・・時が経つにつれ、水田の一部が畑に代わり、畑に変わった土地の一部が荒地(一部はごみ捨て場)へと変化していった。今となっては、平地の中に飛び地のように水田が点在するだけ、という状態だ。帰省する度に整備された水田が減っている光景を目の当たりにしている。

実家付近の農家の高齢化が進み、相当な体力を必要な稲作作業を行えなくなる中、担い手となるべき跡継ぎの若者は都会へ出ていってしまい、農地が荒れ果ててしまう、というのは当然の帰結だ。
まずは、稲作よりも大掛かりな設備投資や作業が必要でない露地栽培(専ら家族が食べる用に、多品種の野菜を少量生産)の畑作に切り替える(≒水田を畑に切り替える)。
次に、露地栽培の畑作ですら老化により体力的に厳しくなり、農地として手入れできなくなる、という流れなのだと思う。

サラリーマン家庭である私の実家は、そもそも農業を営んでいなかったし、これまで田園風景の維持活動にこれまで何ら直接的に貢献をしてこなかった。私が今現段階で実家付近の故郷の田園風景の維持に向けてできることはほとんどなく、ただただ無力感を感じる。。

*1:最近は、故郷での滞在日数が長くなり癒しの生活にどっぷり浸り過ぎれば浸り過ぎるほど、東京に戻った後生活のリズムを元に戻すまできつくなる。よって最近は意識的に帰省日数を短めにとるようにもしている。

*2:もちろん都心の再開発において、古くからの街並みが取り壊され巨大な建造物が立つ等の事例もある。それはある種都会の該地域に古くから住み続ける人々にとっては「コミュニティの消失」であり喪失感につながるもの、なのだと思う。安易に「田舎出身の我々の喪失感の方がより大きい」など主張すべきでないかもしれない。ただ、それでも私は「変化の到来後、自分の所縁のある地域に人が何らかの形で存在し続けるか否か、人間活動の息吹が何等か感じられるかどうか」の差は大きい気がするのだ

田舎での子育て -自分の子ども時代を振り返りながら考える

私の実家と周囲の集落の人たちとの関係

私の実家の付近は日本有数の透明度を誇る清流の中流域にあり、山がちな地域の中で珍しく、まとまった平地*1に恵まれた地域であった。恐らく古くから開墾されてきた土地だろうと思うが、その平地全体に水田が広がり、水田の中にぽつぽつと畑が広がる、という風景であった。
私の実家周辺の家々は基本的に先祖代々農家で、兼業専業の区別はあるものの農業(特に稲作)には携わっていた。

私の両親は、今から40年ほど前、諸事情により、たまたま隣町から移り住むことを決めた。いわば余所者であった私たちを、概して集落の人々は好意的に受け入れてくれたようだ。もちろん古くからの因習に凝り固まった変な人も何人かいて、時折問題が発生したのは事実のようだ。田舎暮らしには田舎暮らし特有の面倒な因習やしきたりのようなものに特に母は悩まされたこともあったようだ。ただ、総じて少なくとも私は大きな問題を感じることはなく、幸せな子供時代を過ごせたように思う。

田舎は都会より子供を大事にする

田舎は、都会と比べて子どもに好意的である。私の故郷でも、コミュニティ全体の絆が強く、子どもが集落の一員であればその子どもを地域全体で面倒みよう、大事にしようとする雰囲気が私の実家付近にはあった。それも押しつけがましい形ではなく。

東京では、電車内でぐずったりうるさくしたりする自分の子どもに対する周囲の視線が冷たく、肩身の狭い思いをするお母さんの話はよく聞くが、田舎では少々子どもがぐずったり騒いだりしても誰も何とも思わない。
まず、田舎では人口密度が低く、家と家の間の距離もそれなりにあり、土地も広いので、少々子どもがある地点で騒いだところで周りがうるさいと感じる状況が成立しにくいのだと思う。
また、これは私の勝手な感覚で何の根拠もないのだが、都会で子育て中のお母さんが直面する周囲の人々との軋轢のかなりの割合が電車内、それも乗客が多い通勤電車内で発生する印象があるが、田舎には「満員の通勤電車なるもの」が存在しないのだ。私の故郷では電車は1時間に1本程度しか運航されず、それも乗客がまばらで、たとえ子連れの母親が電車に乗り込んだとしても周囲の目はとても優しい。都会のように「ベビーカーを畳め」と罵る輩は皆無だし、多少ぐずったとしても微笑みながら乗客は見守る。

田舎暮らしには田舎暮らしなりの様々ストレスがあり、一概に田舎の方がストレスレスとは言えないと思う。
ただ

  • 人口密度が希薄で、人と人との間に十分な距離が保つことが可能である(十分なパーソナルスペースをキープできる)。特に満員電車という乗客のストレスを極度に増幅させる空間が存在しない。
  • コミュニティ全体顔見知りで絆が強く、ある種拡大家族のように集落内助け合おうという空気がある。

という点で、少なくとも子育て世代においては、田舎の方が親が周囲との軋轢を感じる瞬間が少なく、ストレスレスに暮らせる印象だ。

父が単身赴任だったということもあり、母は約40年前私の姉と私という二人の幼子を一人で育てることとなりそれなりに大変だったはずだが、今思い返してみても、母は孤立することなく、適宜周囲の温かい助けを得ながら乗り切っていたように思う。
また、「田舎は都会より子どもの存在自体を有難がる」ということもあり、言い方を変えれば私達一家は約40年前当時、私と私の姉という幼子の存在を介してうまく集落に溶け込めたとも言えると思う。幼子2人の存在を媒介として母は集落の人々とコミュニケーションする機会を持ち、周囲に助けられ、周囲との絆を深めていったのだ。
たとえば子供がいないサラリーマンのDINKS夫婦が田舎に住むことになったと想像すると*2・・・もちろん最終的には受け入れられると思うが、何というか大変だし時間がかかりそうな印象だ。。

私自身、子ども時代常に、周囲の年配の方々から常に温かい声をかけられ、見守られ、可愛がられている感覚があった。
実家周辺の田畑や野山で駆け回って遊んでいた私の子供時代。今思えば、それらの遊び場は全て私有地で、私はある意味不法侵入者だったのだが、周囲の大人は私が遊ぶ様子を微笑ましいものとして、見守ってくれた。水かき前の田んぼで、れんげ草や土筆やヨモギを摘んだり、初夏の水田でタニシを採取したり、野山でワラビやイタドリ*3や栗やドングリを取っても、咎められた記憶はない。私が誇らしげに収穫物を周囲の大人に見せると、みんな微笑んで称賛してくれたし、私は素直にうれしかった。

幼児に悪戯をしたり誘拐したりとかそういう変な大人の心配をすることなく、伸び伸び自由に子どもを遊ばせ、育てることができるという点においては、自分の実体験を踏まえて、田舎暮らしは悪くないのかも、とも思う。

*1:実際は平地というほどのものでもない。日本の他地域に比べれば、山と山の間に挟まれた狭間、と表現した方が適切なほどの狭さである。大体学校の校庭10個分くらいの広さか。

*2:そもそも、この前提はあり得ないものだが

*3:私の地方では「ゴンパチ」と呼ぶ

過疎化最前線の故郷を東京から慈しみ、懐かしむ

これまで何度か書いてきたが、私の故郷は田舎中の田舎だ。平地が少なく、どの大都市からも物理的に遠いという地理的要因のせいもあり、過疎化のスピードは加速こそすれ、今後緩和に向かいそうなポジティブな兆候は全く見受けられらない。数十年昔、過疎化からの脱却を目的に原発を誘致し、交付金と雇用を獲得しようとする計画もあったようだが、気強力な反対運動もあり頓挫したようだ*1

私の愛する故郷の思い出の様々なシーン

自分の故郷を憎む人は少なくともマジョリティではないと思うが、私も勿論自分の故郷はこよなく愛している。
室生犀星であったか、「故郷は遠きにありて思ふもの」と詠ったのは。東京での暮らしが長くなり、田舎で過ごした年数を上回ってしまった今、東京のストレスフルな暮らしにつかれた時に思い出すのは、過去の美しい、懐かしい思い出とそれに紐づく故郷の光景だ。

  • 初春の山々でのわらび、フキなどの山菜採集*2
  • 澄み切った清流で朝から晩までテナガエビ取りなどに川遊び興じた夏の日々。清流を美しく照らす、夕暮れ時の赤橙色の息をのむほど美しい夕焼けの光景は今でも私の心に焼き付いている。
  • 山々に自生する栗や椎の実の採取に興じた晩秋の日。
  • 近隣の田畑で霜柱を足で踏み潰し、その感覚を楽しんだ幼き頃の冬のある一日。

思い出は美化される・・・必要以上に

ここで、私自身、故郷にいた頃はいた頃で様々な問題に直面したし、悩みもつきなかった事実は認めねばなるまい。今思えばそれらの問題や悩みのほとんどは取るに足らないくだらないものであったが、それでも当時はそれなりに精神的に不健康な日々を過ごしていた。

ただ今は当時のつらかった思い出も含め、全て美化されている。
要は人間は、つらかったことや苦しかったことを忘れやくするという形質が遺伝子に埋め込まれているのだろう。過去のつらさや苦しみを思い出して自らを再度苦しめる方向に人を向かわせるのではく、美しい、ポジティブな思い出だけが心の中に残り続けるように。そして、美しい思い出を適宜脳内で再生させ、心身共にリラックスする効果をもたらすように。突然変異で、いつまでも過去の苦しみにさいなまれる遺伝的形質を持った人間は、何となく生存競争に勝ちぬけない気がする。ストレス過多で、心身共に不健康になりそうなので。

愛する故郷が荒廃していく・・・

少し脱線した。上で書いた「分がなぜここまで自分の故郷を愛するか」を分析することが今回の記事の主題ではない。自分が故郷を愛することは前提として、その愛する故郷が今どういう方向に変化していて、その変化を自分はどう受け止めているか、に関してである。書きたいのは。

冒頭にも書いたが、最近、帰る度に故郷のコミュニティの荒廃ぶりに気付くシーンが増えたのだ。
自分の愛する故郷が衰えていく兆候に出会う度に切ない気持ちになるが、その兆候の回数が増えているし、切なく思う気持ちは弱まることは今のところない。その兆候の内容にもよるが、基本的に同じ強さで私の心を締め付ける。この切ない気持ちには、決して馴れることはないと思う。

「自分の故郷が衰え、縮小消滅してしまう」ことにを恐れ、切なく思う気持ちは、自分にとって大事な人間が老い、弱っていく際に感じる「老いへの悼み」に通じるものがあるように思う。というより、故郷であれ人間であれ、ペットの動物であれ・・・なんでも自分にとって大事なものや思い出が、経年変化で衰えていく様を見せつけられ際に感じる切なさ、は普遍的なものかもしれない。私の東京の現在の暮らしにおいて、私の妻含めて周りの多くの人間は東京生まれ東京育ちで、肌感覚で故郷が劣化していくことの私の悲しみを理解してもらえなかったが、このアナロジーを使って私の気持ちを説明すると、少しわかってもらえたようだった。

本題に入る前にかなり長くなってしまった。

次回以降、本論に戻り、自分が出会った兆候の幾つかを列挙し、その詳細を描写するとともに自分がどう感じたかも併せてつづっていきたいと思う。

*1:福島原発事故が起きた後の今となっては、当時の地元住民の選択に、心から感謝したいと思う

*2:今考えてみると山々は全て私有地で、厳密にいえば窃盗罪に当たる可能性があるが、地元の子どもが野遊びがてらに適宜採集する分には、大目に見られていた

過激で刺激的、必要以上に攻撃的な発言を繰り返す人たちへの対処

高プロ議論で「自己責任論」を唱える方々へ - salmontiskunの日記の続きである。

無意味に攻撃的な人たち

過激で必要以上に攻撃的な発言をする輩はいつの時代にも、どのようなトピックにも必ずいる。そして、彼らの発言が時に社会の耳目を集め、大衆の怒りがマグマのように鬱屈し、時に望ましくない形で爆発する、というケース(例: ネットでの匿名リンチなど)も少なくない。SNSの発展以降、個人の発言の拡散速度が飛躍的に増し、比例して過激発言の拡散傾向は強まった。

扇動者とでもいうのであろうか、そのような過激発言を繰り返す人々の例としては、古くは浜田幸一氏、最近では上西小百合氏、橋下徹氏、石原慎太郎氏、トランプ大統領などがあげられると思うが、今回の高プロをめぐる議論で、田端信太郎氏もその仲間入りを果たしたと思う*1

過激発言は、社会の分断を生む契機となり、長い目で見て不幸をもたらすものだ。特に、影響力のある者が過激発言を行うことの害悪は極めて大きい。過激発言は人々のもって行き所のない怒りを生み出すし、その過激発言が影響力のある者由来であれば、怒りの拡散スピードも破壊力も飛躍的に高まるからだ。
一人一人の怒り感情の総和が社会全体の怒りとなるが、それは社会全体にマイナスの感情が行き渡ることと同義である。「何かに怒っている人」で満ち溢れた社会がもたらす未来がポジティブなものと、想像できる人は皆無だと思う。
もちろん時に「正当な怒りの感情」を持つことは必要なのは認める*2。しかし、必要以上に理性を忘れて怒り狂う必要はないし、影響力あるものが、周囲や社会全体に怒りの燃料を投下する必要は全くない。

過激発言を行う動機

田端氏をはじめとする多くの扇動者たちが、過激発言を行う動機や状況は色々あるのだろうと思う。

  1. 自分としては過激でも何でもなく、ただ自分が正しいと思う主張を正しいと思う表現で社会に広めたいと考えて、発信しているケース(宗教家に多い印象)
  2. あえて刺激的な表現を使うことで、社会に議論を引き起こそうとするケース(橋下徹氏の大阪府知事時代2013年の「風俗活用」発言などは、この典型例ではなかろうか)
  3. 打算の気持ちから、社会から注目を集めることを目的に意識的に過激で攻撃的な発言を続けるケース(上西小百合女史などはこのパターンに見える。彼女は過激発言タレントとして今後生計を立てていく計画なのであろう)
  4. 愉快犯。ただ社会に怒りの渦を巻き起こして社会が動揺するのを見て楽しむケース(5ch、ヤフコメの発言者など)

上記3、4の人たちは、何があっても刺激的な発言を止めることはないだろうし、周りとしては無視する以外の選択肢はない。
その一方で、1、2の動機が強い人たちは「攻撃的な発言を行うこと」そのものが目的ではなく、自らの主張を社会全体に広めたい、理解してもらうための手段として「攻撃的な発言」を行っているものと思う、意識的か無意識的かはさておき。
だとすれば、「彼らの主張が社会全体に広まり、理解される」ためには「攻撃的な発言」がむしろ逆効果、ということが理解されれば、表現に注意した抑制的なものに自らの発言を変えていって頂ける可能性があるのだと思う。

なので、周りの理性ある冷静な大人は、粘り強く辛抱強く、彼らに語りかけていくことに意味があると信じる。

  • 「あなたのその発言は独りよがりではないか?」
  • 「独善的で多くの人に理解されるものではないよ。」
  • 「一度鏡の前に立って自分の姿を見返したほうがよいよ。」
  • 「いくら論理的にあなたが正しいと思う発言であっても、社会の感性を踏まえて、社会に理解される表現法で伝達しないとコミュニケーションとは言えないよ。」
  • 「社会全体の価値観や感性を踏まえた上で、社会に理解してもらえるやり方で自分独自の主張を行うことが、広い意味で教養というものなのだと思うよ。」

などなど。

要は、社会不和の種となりうるような過激発言を少なくできるよう、個々ができることから、対処していくべきなのだ、と思う。

*1:田端氏は以前から過激発言で一部の界隈で著名であったようだが、今回の発言までは「扇動者」と呼べるほどには知名度は高くなかった

*2:例えば、不正義な状況を目にした時に、不正義を行使する者に怒り、批判するなど。現政権の森友・加計問題に関する不誠実な対応に対する怒りは正当なものと思う

高プロ議論で「自己責任論」を唱える方々へ

高プロをめぐる議論で「過労死は自己責任論」を声高に叫ぶ人たち

世の中には想像力のない人がいる。高プロをめぐる議論で声高に自己責任論を叫びたてる人たちもその典型的な例だ。

経営者は、過労死するまで働けなんて言いませんからね。過労死を含めてこれは、これは自己管理だと私は思います。(中略)労働基準監督署も不要です。個別企業の労使が契約で決めていけばいいこと


挙句の果てには・・・

これまで述べてきたように、労働者がそれぞれの労働観やその時々の状況に応じて、望ましい働き方を自由に選べられる労働環境が実現できれば素晴らしいし、個人の自己決定権に基づき、過酷な労働環境から自由に逃れられる状態に万人がいられれば、何よりだと思う。ここで、あえて、奥谷社長や田端氏の言葉を借りれば、全ての日本の労働者が適切に自己管理できて、会社の命令を時には拒否でき、場合によっては会社を自由に辞められれば、理想の状態と思う。

ただ、現実問題として、多くの労働者がこれまで肉体的精神的に過酷な環境に置かれつつも、自分の自由意思に従った決断ができなかったし、その状況は今も続く。肉体を害し、精神を病み、自ら命を断つまでに思いつめる労働者が今でもそれなりに存在する。

2018年のこの日本において、肉体や精神を労い、合理的で妥当な意思決定を行えない労働者が存在するのはなぜか。安易に自己責任論の議論を持ち出す前に、その背景や構造をまず深く分析、理解しようとするのが先ではないか。田端氏は「鎖で繋がれ鞭打ち強制労働じゃないんだから帰ればいいだけ」と述べているが、「なぜ帰れないのか」「なぜ今現代の日本において、そこまで思いつめてしまう労働者が存在するのか」の構造的問題に思いを馳せてほしい。

自己責任論の議論を乱暴に持ち出す前に、想像し、議論すべきことは山ほどある

たとえば、

  • 日本の雇用慣習的に、ある程度の年齢を過ぎると転職が極端に難しくなり、会社と労働者のパワーバランスが会社側に大きくシフトするという構造。

 →奥谷氏や田端氏は、「何歳になっても転職できるようなスキルを身に着けられなかったことを含め自己責任」と主張するだろうが、田端氏が優秀だからと言って、他人がそうではないことくらい想像力を働かせてほしい。「頭が悪い」ということが自己責任というのには、全く共感できない。

他には、

  • 欧米のように各人の仕事範囲がジョブディスクリプションによって明確に区切られているわけではなく、日本ではまじめで仕事が高い人ほど細々とした雑務を引き受け、疲弊しがちで残業のスパイラルにはまりがちな構造

 →奥谷氏や田端氏は、「Noと言えない人が悪い、自己責任だ」というのだろうが、まじめに仕事をコツコツこなす優秀な労働者を適切に労務管理できない経営側の責任転嫁にしか聞こえない。

そして何より、

  • メンタルが生まれつき強くなく、会社からの圧力に耐えきれず、うつ病を発生し、ありとあらゆる正常な判断が不可能になった労働者の存在

 →恐らく田端氏も奥谷氏もうつ病を患ったことがなく、精神の病の恐ろしさを肌感覚として理解できていないのだと思う*1。彼らは、もしかしたら「弱いメンタルを持っていること含め、うつ病を発症したこと自体が自己責任で、自分でメンタルを強くするなりして対処すべき」と考えているのかもしれない。そうだとすれば実に恐ろしい。人として重要な、共感力、弱き者をいたわるという資質が欠けているとしか言えない。会社が労働者を巧妙にマインドコントロールし、精神を病ませ、自分の意のままに従わせている状態で自己責任論を持ち出しても万人の共感は絶対に得られないし、絶対に間違っている。

田端氏に関して言えば、炎上商法を糧にして、これまで自分のキャリアを築き上げてきた方のようだし、あまり真面目に彼の言葉を逐一取り上げる必要はないのだと思う。近々書籍を販売するということだし、どのような形であれ彼の知名度アップに寄与する活動には関わりたくない。
ただ、彼の好戦的な一連の発言は、どうしても看過したくない。今回のような極めてて不適切な発言に対しては、節度を持った冷静な態度で批判、コメントしていくべきと思う。

エキセントリックな愉快犯のコメントが流布するのを少しでも抑えるために。

*1:患ったことがなくても、成熟した大人としてのの想像力、共感力をもって、その恐ろしさをある程度イメージして頂きたいものだが