salmontiskunの日記

高校卒業まで田舎育ちで、そこそこ世間的に評価の高い都内国立大学および大学院に進学、その後都内IT企業で企画事務担当として働くアラフォーサラリーマンのブログです。特にテーマは決めてませんが、奨学金返済、マインドフルネス、などなど、「精神的、経済的、肉体的に幸せに生きるためには・・・」というテーマでブログを書いていきます。

「オウム事件真相究明の会」発足 -オウム真理教と私の記憶

2018/6/4 「オウム事件思想究明の会」が発足した・・・らしい。
呼びかけ人、賛同人には多種多様な文化人が含まれ、その中には、佐藤優氏、田原総一朗氏、香山リカ氏、小林節氏など、テレビ、ラジオ、映画、雑誌新聞その他メディアで姿を拝見する機会の多い有名人の方々が多数含まれている。それなりの社会的影響力を持った団体と思われる。

オウム真理教と私の記憶

オウム真理教が起こしたとされる松本サリン事件や地下鉄サリン事件が起こったのは1994年~1995年。当時私は中学生~高校生の時期にあたり、オウム真理教が引き起こした数々の事件は、私の記憶にも鮮明に残っている。1995年以降は、ジャーナリストの江川紹子氏や有田芳生氏といった方々の姿をテレビで目にする機会も多く、彼らがテレビで上祐史浩氏や村井秀夫氏などと言ったオウム真理教上級幹部と意見を戦わせる番組などは、当時視聴率が取れる格好のネタだったのだろう、連日放送されていた*1

地下鉄サリン事件が起こった日は確か高校春休み期間中のある一日だったと思う。大学から一時帰省していた姉と二人で自宅でテレビで映画を見ていたところ、急に番組が特番に切り替わった。地下鉄を使って通勤途中のサラリーマンが地上に脱出し、頭を抱えて座り込んでいるという衝撃的なシーンを目にすることになった。当日はオウム真理教地下鉄サリン事件を引き起こしたとは当初誰も思っておらず*2、姉と二人で怯えつつ、半笑い*3で特番を見続けた記憶がある。

折しも地下鉄サリン事件が起こったのはバブル崩壊後まだ間もない1995年。その年の1月に未曽有の阪神淡路大震災が発生し、世間の動揺も未だ収まっていない中わずかその約2か月後に深刻な事件が発生し、日本は今後どうなってしまうんだろうかという漠とした不安を持った日本人は多かったのではないかと思う*4

オウム真理教の裁判から私が感じたこと、学んだこと

オウム真理教が私個人に対して与えた印象は大きかった。私自身主に新聞、最近はインターネットを通じてオウム事件のその後の進展を常に追っていた。事件の実行犯とされる上級幹部たちは裁判の場で数々の詳細な証言を行い、その様子がつぶさにメディアで放送された。

私の印象に最も残っているオウム真理教の実行犯は、林郁夫氏である。慶應義塾中等部からエスカレーターで慶應義塾大学医学部に進学し、順風満帆の人生を送っていたはずのエリート医師であった林郁夫氏。運悪くオウム真理教に出会い関わってしまったがために、人生が180度暗転、今や悔恨と追悼の日々を送るだけになってしまっている。
多くの被害者がいる中、表現には気を付けないといけないが、私は林郁夫氏を本当に気の毒に思っている。また林郁夫氏をマインドコントロールし、利用するだけ利用する一方で、自己保身と自己利益のことしか考えない麻原彰晃は万死に値すると思う。

林郁夫氏の裁判での証言には私の心はただただ奪われた。
時にかつての師麻原彰晃氏を呼び捨てにし、地下鉄サリン事件の全貌および教団の実態を極めて微細な部分まで詳細に説明し、被害者の方々への悔恨の念を慟哭を交えながら誠実に証言する姿は、私だけではなく多くの心を打ったようだ。
サリン事件の被害者や検察官、裁判官とて例外ではなく、
被害者は

改悛の情がある

として死刑を望まず、また裁判官は

己の記憶に従い、ありのままに供述していることが認められる。極刑が予想されるなか、臆することなく決定的に不利な事項にまで及んでおり、覚悟したうえでの胸中の吐露であって、被告人の反省、悔悟の情は顕著である。

として実行犯の中で唯一死刑を免れることになった。

林郁夫氏をはじめとするその他実行犯の証言が裁判で明らかになるにつれ、私自身「カルト」というものの恐ろしさを肌感覚で感じることができた。日本では宗教団体全般をうさん臭くとらえ、忌避的に接する傾向があるが、恐ろしいカルトは自分の身近なところに存在するのだ、と。
傍目には順風満帆に生きているように見える、どちらかと言えば真面目な人が、人生の意味や善き生き方について思い悩んだ際に、偶々運悪く麻原彰晃のような悪意ある恐ろしい人間に出会ってしまうと、簡単にマインドコントロールされてしまうことも知った。
私自身属性としてはオウムの上級幹部と同じような学歴を経てきたこともあり、一歩間違えると自分が実行犯になり、社会に恐怖をもたらす存在となった可能性もあるのだ、と。

一連のオウム裁判で明らかになった事実やもたらされた教訓は多く、日本社会としてこの裁判の記録は有用なものであり、同様の事件が起こることのないように道標として事ある毎に参照されるべきもの、と思う。

以上を踏まえ、今回発足した「オウム事件真相究明の会」の目的や存在意義について今一度精査し、思うところを述べていきたいと思う。(to be continued)

*1:余談だが、山梨県の「上九一色村(かみくいしきむら)」というオウム真理教の本部が置かれていた自治体の名称を、この機会に覚えたという人も多いと思う。いしきむら」という名称を知っているかどうかで、その人の生まれた年代をある程度予測できるかもしれない(笑)・・・

*2:また、サリンという言葉も当日は聞くことはなかった

*3:「半笑い」という表現に気を悪くされる方もいらっしゃるかもしれません、申し訳ありません。当時の映像はただただ衝撃が強すぎ、現実感を持って映像を見続けることができず、自然に意味不明な半笑いが生じたのです

*4:確か1995年末に発表されたこの年の感じは「震」だったと思う