salmontiskunの日記

高校卒業まで田舎育ちで、そこそこ世間的に評価の高い都内国立大学および大学院に進学、その後都内IT企業で企画事務担当として働くアラフォーサラリーマンのブログです。特にテーマは決めてませんが、奨学金返済、マインドフルネス、などなど、「精神的、経済的、肉体的に幸せに生きるためには・・・」というテーマでブログを書いていきます。

第三者が取るべき「節度ある態度」とは -日大アメフト部事件

批判するにも冷静に、過激な表現は使わずに

日大アメフト部宮川選手の暴力的なタックル事件、事は日大アメフト部の問題だけにとどまらず、日大当局の不誠実で社会の良識からかけ離れた内部統治体制の問題にまで社会の厳しい目が向けられるようになっている。報道の過熱ぶりが当面収まる気配もなく、おそらく社会の関心も熱いままである。
社会の関心が高まるのはそれ自体悪いことではない。ただ、日大アメフト部、引いては日大の機構改革の行く末を抑制された節度ある態度で見守ろう - salmontiskunの日記でも述べたように、本事件をおもちゃのように「暇つぶしの題材」として扱うことがないよう、くれぐれも留意したい。義憤と言えば聞こえはいいが、自分自身が怒りの感情を持ち、その発散を目的に、日大アメフト部指導陣や日大当局を刺激的な表現で、口汚く罵るのは、単なる自己満足でしかない。さらに自らの怒りの感情を公にオープンにすることで、周囲にも怒りの感情が共鳴、伝播する。一人一人の怒りが拡散すると、社会全体のヒステリー傾向が雪だるま式に拡大していく。そうなると、理性、合理性に基づく冷静な判断が社会全体で許容されなくなる(≒社会全体で「わかりやすい悪者」を徹底的に制裁するまで満足しなくなる)。
一見飛躍した議論に聞こえるかもしれないが、いくつか過去の史実を思い出してみよう。中世の魔女裁判関東大震災時の朝鮮人虐殺、旧ユーゴ大虐殺 etc...
どれも最初は単なる噂話レベルの悪口でしかなかったものが、社会全体に広がり、負の感情がどんどん増幅し集団ヒステリー傾向に陥った結果の恐ろしい悲劇の産物である。

基本メディアの自浄作用には期待できない・・・一人一人の地道な心掛けから

大衆は、善悪二元論(戦隊もの、ハリウッド映画など)、正義の勇者が悪者を懲罰する物語(時代劇など)を欲する傾向があるが、実際のところ、このようなわかりすい単純化された物語で説明できる事象はこの世にほぼない。良心あるメディアであれば、様々なものの見方、様々な立場から見た様々な正義を大衆に提示し、「一つの事件の背後に様々な事象が存在する」という事実の複雑さをわかりやすく解説する任務にまず専念すべきと思う。また、ある事件を報道する際には、その事件が発生した構造を徹底的に調査、分析し、本質的な問題の所在を詳らかにした上で、得られた教訓が広く社会全般どのような場面で生かせるかという役割を果たすべきである。そうすることで、暴走しがちな世論を諫め、健全で建設的な方向に社会が誘導されると思う。そうなって初めてメディアの本来の役割が果たせたと言えると思うのだが・・・いかんせん資本主義のこの日本にあって、多くのメディアは「大衆が欲するものを提供する」という抗い難い誘惑に囚われ、悪者を徹底的に悪く描き、口汚く罵倒し、大衆の喝采を得ることに注力しているように見える*1
このところのメディアの報道傾向を見ても、普通の一般人が触れる機会の多いTVや大衆週刊誌、大衆紙などに自浄作用を期待するのは難しそうだ。よって、まず一人一人個人のレベルで、社会が集団ヒステリー傾向に陥らないように、自らが扇動者の役割を演じることのないように、律していくべきだと考える。
そのためには、まず小さなことであるが、一人一人が言葉を発する際に、乱暴な言葉をを使わないように注意するところから始めるべきではないか、と思う。前述のとおり、乱暴で極端な言葉はそれ自体、社会の集団ヒステリーの増幅装置となりうるのだから。

「不悪口」

なお、一人一人が乱暴な言葉を使わず、社会に発信しないということは、社会の暴走の歯止めとなるだけでなく、その人自身のためでもある。
仏教では、「不悪口」*2という概念があるらしい。


仏教の哲学は難しく、私も不悪口の概念を恐らく正しく理解できているわけではないが、

  • 悪口を言ってはいけない
  • 憎しみの心をもって乱暴な言葉を使わない
  • 悪口や乱暴な言葉は、その言葉を発した対象より優れているという優越感を得たい、という煩悩の表れで、それは脳への誤った快楽報酬である
  • 悪口や乱暴な言葉は麻薬のようなもので、一時は満たされても悪口や乱暴な言葉を発さずには満足できない状態に陥り、最終的にはその人自身をむしばむ

ということのようである。
深くて正しいと思う。

社会の暴走と歯止めとなるべく、また自分自身の幸せな人生のために、乱暴な言葉を使わず、口汚く悪口を言うようなことがないように、ありたい。

*1:一種の扇動者と言ってもいい

*2:読み方は、「フアック」ということで、英語圏の方々にとっては、若干シュールな発音"fu*k"らしい・・・