salmontiskunの日記

高校卒業まで田舎育ちで、そこそこ世間的に評価の高い都内国立大学および大学院に進学、その後都内IT企業で企画事務担当として働くアラフォーサラリーマンのブログです。特にテーマは決めてませんが、奨学金返済、マインドフルネス、などなど、「精神的、経済的、肉体的に幸せに生きるためには・・・」というテーマでブログを書いていきます。

自分の愛する故郷の劣化の悲しみ

田舎での子育て -自分の子ども時代を振り返りながら考える - salmontiskunの日記の続き。

前回述べたように、私の高校までの故郷での暮らしは大きな問題に出くわすこともなく、恵まれたものであった。両親はともかく、私自身は実家周辺の集落の人々との関係において、大きな問題に直面することもなく、幼少期から良い友達にも恵まれ、大自然の中で伸び伸び遊びながら満ち足りた子供時代を過ごすことができた。
故郷を出て20数年が経った今でも、過去を懐かしみ、故郷の子供時代の心象風景を思い出すだけで脳内で幸せなホルモンが分泌されるのか、東京での日々の生活のストレスが原因でささくれだった精神が癒される感覚を味わえる。
年に数度帰省し、故郷在住の知人たちと会ったり、思い出の場所を巡ったりする際にも、同じように癒しを感じるし、東京の生活では中々味わえない安らぎを覚える*1

愛すべき安らぎ、癒しの源泉となる故郷が自分にはあり、必要な時にいつでも戻ることができる。幸せなことだ。

自分の故郷は昔の自分が知っている姿で自分が死ぬまで存在し続けてほしいものだが、もちろんそれは無理な話だ。過疎化最前線の私の故郷。限界集落と言ってもよく、このまま年月が経つと集落そのものが消失してしまいそうという恐怖があるし、その恐怖は妄想などではなく、かなりの確率で現実になりそうだ。私の心が締め付けられる。

勿論風景が変化するのは田舎だけではない。
大都会東京でもまたニューヨークに限らずNew Yorkでも上海でもどこでも、重要文化財でもない限り、過去のものは適宜取り壊され、新しいものに取り換えられていく。
ここで都会の変化は、たとえば新宿駅再開発のように、基本的に発展とか近代化などポジティブな印象をもたらすものである一方で、田舎の変化は衰退や劣化と同義である点が根本的に異なると思う。
言い換えると、変化が到来した後、そこに人がいるかいないかもしくは人の活動の息吹が今でも感じられるか否か、は大きな差だと思う。*2

平成27年度版 総務省発行「過疎対策の現状」によれば、

過疎地域の人口は、全国の8.9%を占めるに過ぎないが、市町村数では半数近く、面積では国土の6割弱を占めている。
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とのこと。故郷のコミュニティおよびそれに紐づく良き思い出がガタガタと崩壊していく恐怖に怯えているのは自分だけではないと安堵する一方、その総数は国土の6割弱を占める地域に深い所縁のある人たちであり、少なく見積もっても一千万万のオーダーでいそうだと思うと、その数字の巨大さに恐れおののく。

水田が畑に変わり、畑が荒地に変わっていく・・・・

自分自身の故郷の話題に戻す。

私が寂しく切ないと感じる故郷の劣化、衰退の具体例の一つは、幼き頃無邪気に遊んだ遊び場である田園(水田)の風景が失われつつあることだ。
付近を流れる清流と清流に沿って広がる一面の田園の風景(特に水田)であった。水が張られる前にはレンゲ草や土筆摘み、水が張られた後にはオタマジャクシやタニシとりに興じたあの幸せな日々。

幼き頃は何の根拠もなく、その光景は永続するであろうと思っていたのだが・・・時が経つにつれ、水田の一部が畑に代わり、畑に変わった土地の一部が荒地(一部はごみ捨て場)へと変化していった。今となっては、平地の中に飛び地のように水田が点在するだけ、という状態だ。帰省する度に整備された水田が減っている光景を目の当たりにしている。

実家付近の農家の高齢化が進み、相当な体力を必要な稲作作業を行えなくなる中、担い手となるべき跡継ぎの若者は都会へ出ていってしまい、農地が荒れ果ててしまう、というのは当然の帰結だ。
まずは、稲作よりも大掛かりな設備投資や作業が必要でない露地栽培(専ら家族が食べる用に、多品種の野菜を少量生産)の畑作に切り替える(≒水田を畑に切り替える)。
次に、露地栽培の畑作ですら老化により体力的に厳しくなり、農地として手入れできなくなる、という流れなのだと思う。

サラリーマン家庭である私の実家は、そもそも農業を営んでいなかったし、これまで田園風景の維持活動にこれまで何ら直接的に貢献をしてこなかった。私が今現段階で実家付近の故郷の田園風景の維持に向けてできることはほとんどなく、ただただ無力感を感じる。。

*1:最近は、故郷での滞在日数が長くなり癒しの生活にどっぷり浸り過ぎれば浸り過ぎるほど、東京に戻った後生活のリズムを元に戻すまできつくなる。よって最近は意識的に帰省日数を短めにとるようにもしている。

*2:もちろん都心の再開発において、古くからの街並みが取り壊され巨大な建造物が立つ等の事例もある。それはある種都会の該地域に古くから住み続ける人々にとっては「コミュニティの消失」であり喪失感につながるもの、なのだと思う。安易に「田舎出身の我々の喪失感の方がより大きい」など主張すべきでないかもしれない。ただ、それでも私は「変化の到来後、自分の所縁のある地域に人が何らかの形で存在し続けるか否か、人間活動の息吹が何等か感じられるかどうか」の差は大きい気がするのだ