salmontiskunの日記

高校卒業まで田舎育ちで、そこそこ世間的に評価の高い都内国立大学および大学院に進学、その後都内IT企業で企画事務担当として働くアラフォーサラリーマンのブログです。特にテーマは決めてませんが、奨学金返済、マインドフルネス、などなど、「精神的、経済的、肉体的に幸せに生きるためには・・・」というテーマでブログを書いていきます。

過激で刺激的、必要以上に攻撃的な発言を繰り返す人たちへの対処

高プロ議論で「自己責任論」を唱える方々へ - salmontiskunの日記の続きである。

無意味に攻撃的な人たち

過激で必要以上に攻撃的な発言をする輩はいつの時代にも、どのようなトピックにも必ずいる。そして、彼らの発言が時に社会の耳目を集め、大衆の怒りがマグマのように鬱屈し、時に望ましくない形で爆発する、というケース(例: ネットでの匿名リンチなど)も少なくない。SNSの発展以降、個人の発言の拡散速度が飛躍的に増し、比例して過激発言の拡散傾向は強まった。

扇動者とでもいうのであろうか、そのような過激発言を繰り返す人々の例としては、古くは浜田幸一氏、最近では上西小百合氏、橋下徹氏、石原慎太郎氏、トランプ大統領などがあげられると思うが、今回の高プロをめぐる議論で、田端信太郎氏もその仲間入りを果たしたと思う*1

過激発言は、社会の分断を生む契機となり、長い目で見て不幸をもたらすものだ。特に、影響力のある者が過激発言を行うことの害悪は極めて大きい。過激発言は人々のもって行き所のない怒りを生み出すし、その過激発言が影響力のある者由来であれば、怒りの拡散スピードも破壊力も飛躍的に高まるからだ。
一人一人の怒り感情の総和が社会全体の怒りとなるが、それは社会全体にマイナスの感情が行き渡ることと同義である。「何かに怒っている人」で満ち溢れた社会がもたらす未来がポジティブなものと、想像できる人は皆無だと思う。
もちろん時に「正当な怒りの感情」を持つことは必要なのは認める*2。しかし、必要以上に理性を忘れて怒り狂う必要はないし、影響力あるものが、周囲や社会全体に怒りの燃料を投下する必要は全くない。

過激発言を行う動機

田端氏をはじめとする多くの扇動者たちが、過激発言を行う動機や状況は色々あるのだろうと思う。

  1. 自分としては過激でも何でもなく、ただ自分が正しいと思う主張を正しいと思う表現で社会に広めたいと考えて、発信しているケース(宗教家に多い印象)
  2. あえて刺激的な表現を使うことで、社会に議論を引き起こそうとするケース(橋下徹氏の大阪府知事時代2013年の「風俗活用」発言などは、この典型例ではなかろうか)
  3. 打算の気持ちから、社会から注目を集めることを目的に意識的に過激で攻撃的な発言を続けるケース(上西小百合女史などはこのパターンに見える。彼女は過激発言タレントとして今後生計を立てていく計画なのであろう)
  4. 愉快犯。ただ社会に怒りの渦を巻き起こして社会が動揺するのを見て楽しむケース(5ch、ヤフコメの発言者など)

上記3、4の人たちは、何があっても刺激的な発言を止めることはないだろうし、周りとしては無視する以外の選択肢はない。
その一方で、1、2の動機が強い人たちは「攻撃的な発言を行うこと」そのものが目的ではなく、自らの主張を社会全体に広めたい、理解してもらうための手段として「攻撃的な発言」を行っているものと思う、意識的か無意識的かはさておき。
だとすれば、「彼らの主張が社会全体に広まり、理解される」ためには「攻撃的な発言」がむしろ逆効果、ということが理解されれば、表現に注意した抑制的なものに自らの発言を変えていって頂ける可能性があるのだと思う。

なので、周りの理性ある冷静な大人は、粘り強く辛抱強く、彼らに語りかけていくことに意味があると信じる。

  • 「あなたのその発言は独りよがりではないか?」
  • 「独善的で多くの人に理解されるものではないよ。」
  • 「一度鏡の前に立って自分の姿を見返したほうがよいよ。」
  • 「いくら論理的にあなたが正しいと思う発言であっても、社会の感性を踏まえて、社会に理解される表現法で伝達しないとコミュニケーションとは言えないよ。」
  • 「社会全体の価値観や感性を踏まえた上で、社会に理解してもらえるやり方で自分独自の主張を行うことが、広い意味で教養というものなのだと思うよ。」

などなど。

要は、社会不和の種となりうるような過激発言を少なくできるよう、個々ができることから、対処していくべきなのだ、と思う。

*1:田端氏は以前から過激発言で一部の界隈で著名であったようだが、今回の発言までは「扇動者」と呼べるほどには知名度は高くなかった

*2:例えば、不正義な状況を目にした時に、不正義を行使する者に怒り、批判するなど。現政権の森友・加計問題に関する不誠実な対応に対する怒りは正当なものと思う