salmontiskunの日記

高校卒業まで田舎育ちで、そこそこ世間的に評価の高い都内国立大学および大学院に進学、その後都内IT企業で企画事務担当として働くアラフォーサラリーマンのブログです。特にテーマは決めてませんが、奨学金返済、マインドフルネス、などなど、「精神的、経済的、肉体的に幸せに生きるためには・・・」というテーマでブログを書いていきます。

「田舎に住んでいるだけで、想像以上のハンディを背負わされている」・・・のはそうかもしれないが

見えている世界の違い -田舎 vs. 都会 高学歴 vs. 低学歴 - salmontiskunの日記の続きである。

田舎者は、田舎に住んでいるというだけで、想像以上のハンディを背負わされている

これは、「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由の記事から引用で、随分刺激的だが、言わんとすることはわかる。そもそも田舎には現代都会の方々が普通に想像できる多様な生き方が存在せず、また、若者にそれを想像させる機会そのものに乏しい。阿部幸大氏の心象風景と同様のものを私も感じている。
一言で言うと、彼が言うように「文化がない」ということに尽きるのだが・・・、なんと表現するのが適切だろうか。リアルに自分の五感で直接的に文化を楽しむ機会に決定的にかける、という言い方がもっとも自分の知覚にはまるように思う。そもそも、文化を紡ぎだす主体である人口そのものが田舎では乏しいことに起因するのだが、たとえば・・・

  • 美術館がない
  • 図書館がない(高校の図書室の蔵書は1万冊程度・・・)
  • 映画館がない
  • 音楽鑑賞を行う機会がない

などなど。

田舎とはいえ、テレビを持たない世帯などこのご時世皆無だし、ITの発達が著しい今となっては、ほとんどの若者がスマホを持っている。よって、その気になればテレビで文化的な教養番組を楽しむことはできるし、またその気になればスマホで様々な情報を取りに行くこともできるのは確かなのだが・・・
問題は、人口も乏しく限定された価値観の中で育った若者が、多様な文化に自ら能動的に触れる体験を持つことは難しい。そもそも「そうしよう」という動機が持てないからだ。
結局人間は自ら属するコミュニティの考え方、特に身近な接触する人たちがどういう価値観を持つかによって、その人の人間性や嗜好が形作られていく。文化的に多様なコミュニティに属していれば、幅広い文化に触れる機会も増え、生き方や将来の選択肢も多様になりうるが、文化的多様性に乏しいコミュニティでは、些か考え方や嗜好が狭まったものになりがちなのだと思う。田舎の人々の属性の多様性はどうしても乏しくなりがちだし、新たな気風や考え方が入り込む機会がそもそも、乏しい。結果的に、テレビやスマホという手段があっても、それらから得る体験は、多様性に乏しいものに田舎ではなってしまうように思う。これは、日本だけではなく多くの国でも見られる構図、な気がする。

「想像以上のハンディ」というのは少し言い過ぎな感もして、違和感もあるが、ただ自分の人生における様々な選択をする上で、都会に生きる者の方がより豊富な情報、多様な選択肢が用意されている、というのは事実に見える。職業の選択、趣味の選択、余暇活動の過ごし方の選択…etc
ただ一方で、情報量の多さや選択肢の幅広さが、その人にとって幸せをもたらすものかどうか、は、簡単に言い切れるものではないのも確かだ。田舎で生まれ、田舎で育ち、田舎で結婚し、田舎で子育てし、田舎で老い、田舎で一生を終える人生。彼(or 彼女)が幸せだと思えるのであれば、それは素晴らしい人生だし、私の今は亡き祖母も幸せそうだったし、田舎にいる友人たちもそうだ。経済的には大変そうだが、それでも人口が益々減少しつつある中でコミュニティ内助け合い、絆を深めつつ、自分たちが与えられているものに感謝しながら生きている人は少なくなさそうにみえる。

私は田舎を出て、大学入学以来、高い教育を受けた人たちの間のコミュニティに属している。経済的に余裕があり、様々な種類の刺激的な娯楽、文化的活動を好きな時に好きなだけ享受でき、職業選択の幅も幅広い今の環境を私は好んでいるし、今さら田舎に戻って束縛の強い環境*1で暮らすのはとても難しいと思う。ただやはり田舎にいた頃には肌感覚で理解できなかった都会の生活のストレス*2に、心身疲れ果てることもある。

  • リアルに五感で文化を楽しむ経験、機会の差
  • 多様な考え、意見に触れられる機会の差
  • 情報量、選択肢の幅広さの差

という観点で、田舎に暮らすものにハンディがあるのは事実と思う。それは認める。ただ、そのハンディが「想像以上」という強い言葉で語るべき程、田舎者の人生において致命的な悪影響をもたらすものなのか。
そこそこ幸せに田舎の閉じたコミュニティで暮らすことはそれはそれで幸せな人生ではなかろうか。
東京に出て、名門大学に行き、都会で(田舎では聞いたこともないような)職業に就き、多様な価値観や文化に触れる、という生き方を知る必要はそもそもなくてよいのか(≒知らなくても十分心豊かに幸せな人生を送ることができるのではないだろうか)。

何とも言えない。

*1:絆、コミュニティの強さの裏返しでもある

*2:特に仕事面でのストレスは田舎とは比べ物にならない。最近「働き方改革」の名の下にさすがに労務環境は改善されつつあるが、夜遅くまで働くことは都会では未だ普通だ。