salmontiskunの日記

高校卒業まで田舎育ちで、そこそこ世間的に評価の高い都内国立大学および大学院に進学、その後都内IT企業で企画事務担当として働くアラフォーサラリーマンのブログです。特にテーマは決めてませんが、奨学金返済、マインドフルネス、などなど、「精神的、経済的、肉体的に幸せに生きるためには・・・」というテーマでブログを書いていきます。

見えている世界の違い -田舎 vs. 都会 高学歴 vs. 低学歴

二元論の構図のdilemma

過去3回ほど、田舎のコミュニティと東京の著名難関大学出身者のコミュニティの違いというタイトルで記事を書いたが、実は記事を書きながら、田舎と東京(の難関大出身者)という括りで集団を真っ二つに区分し、対立構造に配置することは、避けるべきなのか、と少し思ったのも事実だ。「自分とよく似た感性を持つ集団」と「自分とは異なる感性と持つ集団」の区別は、切り口によって、文字通り無数に可能だ。田舎 vs. 都会、高学歴 vs. 低学歴、昭和世代 vs. 平成世代、男 vs. 女、経済的に豊かな
vs. 経済的に厳しい etc・・・・

生まれ持った先天的性質、生まれ育った周りの環境および歩んできた歴史などなど、人は様々な要素が複雑に絡み合ってその人の存在を形作る。ある特定の一要素だけを取り上げて、それ以外の無数の要素には目を瞑り、人間の集団を2つに区分けするのは、物事を単純化しすぎであり、些か乱暴ではないのか、と。

これまでの私のブログの記事のトーンから、分かっていただけると思うが、私は

  • 世の中には単純に白黒つけられるようなものはほぼ皆無である。
  • 白と黒の間に存在する広大なグレーゾーンの間で、個別のケース一つ一つに注意深く目を向け、グレーの濃淡を丁寧に可能な限り時間をかけて評価すべきである*1
  • 個別事象のグレーの色合いを丁寧に、まるでうすひだを伸ばすがごとく繊細に扱うことでのみ、真理に到達できる。

という確固たる信念のようなものを持っている。

朝まで生テレビや、ハリウッド映画、時代劇のような二元論はわかりやすく、わかりやすいものは人に好まれる。人間はわかりにくいもの、すっきりしないもの(例: 「白であり、同時に黒にも見える」とか「正しくもあり、間違っている」など)などは、本能的に忌避する傾向もありそうに見える。

それでも二元論で語ってみよう・・・そこに意義ある示唆が見出せそうな予感がするので

ただ、上記で述べた自分の信念は究極的には絶対捨て去りはしないことは前提として、世の中の何等かの傾向を説明する際に、二元論が便利なツールであるのは認めざるを得ない。二元論、三元論(などというものが存在するのだろうか?)など何らか分類法は使わざるを得ないであろう。分類の陰で崩れ去る数多の例外ケースの存在には目を瞑り。
究極的に言ってしまえば、自分と全く完全無欠に同一の感性、歴史を有する人間はこの世に存在しえない。ただ、そこからは、「人それぞれ別個の存在である」という決まりきった何の含蓄も面白味もない事実が導き出されるのみだ。

なので、あえて自分の信念から多少はずれた気持ち悪さの存在を自覚しつつ、田舎 vs. 都会 または、高学歴 vs. 低学歴という構図で自分が感じたものを徒然に書いていこうと思う。

ちなみに、私はど田舎で高校卒業まで育った後、以降は基本的に東京で暮らしているし、自分自身は高学歴な一方、自分の両親親戚含め、高校までの周りのごく身近なところに、低学歴の人々は普通に存在した。というか低学歴の仲間がデフォルトで7~8割を占めていた。ゆえに私は
阿部幸大氏同様、この構図で意味ある言説を紡ぎだせる経験と能力があると思っている。これまで書いてきたように。
(to be continued)

*1:かぎりなく白に近いグレー、限りなく黒に近いグレー、黒と白の中間付近に存在するグレーなどなど