私が生まれ育った故郷(田舎)におけるプライバシーの概念 とは
私が生まれ育った故郷の情景を今一度思い出してみる -続き - salmontiskunの日記をもう少し突っ込んで、私の故郷の情景をもう少し突っ込んで考えてみたい。
自分の一挙手一投足が町の人たちに知れ渡る
基本的に田舎ではコミュニティ全体が顔見知りである。見知らぬ人が私の故郷で見かけられることがあったらとても目立つし、コミュニティ内の噂話でその人の振る舞いの一挙手一投足がすぐに知れ渡る。
もちろん、外部の人間であっても明らかに観光客の装いをしている分には、コミュニティ内であっても噂の種になることはない。私の故郷は日本屈指の清流の存在が有名な地域で、夏場には都会から多くの観光客が、川遊びやキャンプを楽しみに訪れる。観光客が清流で観光客らしく節度を保った振る舞いをしている限りにおいては何の問題もなく、観光客その他大勢として扱われる。その他、警察官や、電力会社関係など、明らかに専門職と思われる外見で、羽目を外した振る舞いをしない限りは、まず噂の種になることはないと思われる・・・が、私の場合はそうはいかない。
帰省の度に、私がいつどこにいたか、いつ誰と会ったかという情報が、かなりの正確性で知れ渡るのだ。たとえば地元の友人に会った際に「〇月〇日に、××小学校ににいたんだって?」など言われるとか。また、私の親から「坂本さん(仮名)から聞いたけど、あなた今日△△を歩いていたの?」と問われるとか。もはや最近は驚くこともない。
私は、実家の両親や親せき、知人に会い、旧交を温めるために帰省する。また、時間に余裕がある際には、普通の観光客がまず訪れもしないような場所*1を、過去を懐かしみながらゆったりとした足取りで散歩したりもする。要は、観光客がまずいかない場所を訪れているのだ。
地元民であれば、どこにいても目立つことはないだろう。が、私は違う。とにかく目立ってしまう。
私は18歳の時に故郷を離れたが、田舎ではまだ一部に顔が覚えられている。半分田舎のコミュニティのメンバーであると同時に、半分余所者という中途半端な存在なのかもしれない。私は、元々は地元コミュニティの紛れもない成員であったこともあり、余計に、昔をよくする私が、東京でどのような生活の基盤を築いているか、と興味が尽きないのだと思う。
また、要するに暇、というのもあるのだろう。娯楽が少なく、日々の生活にそれほど変化のない田舎暮らしにおいて、何らか普段と違う出来事があれば、その話題で持ちきりになるのも普通に想像できる。特に田舎は高齢者が多く、高齢者は都会においてすら暇を持て余す、と聞くし。
そもそもプライバシーの概念が異なる
やはり田舎と都会で、プライバシーの考え方がそもそも異なるのだ、と思う。
幾つか例を挙げてみよう
- 家に鍵をかけない・・・これは有名な話である。私の故郷の実家もごく最近まで実家に鍵をかけていなかった*2。母と仲の良い農家が、勝手に家のドアを開けて、玉ねぎやじゃがいもを置いて行ったりすることも普通にあった。
- 他人の家庭の状況を詮索、噂話にする・・・もちろん都会にも噂話好きの人はいるが、都会に比べて「人は人、自分は自分」という考え方が理解されにくい印象が田舎にはある。母の知り合いのケースをここで紹介したい。その知り合いは、夫が工場勤務で母が看護師という共働き家庭でかつ子供が二人いて、普段の家事がどうしてもおろそかになりがち、ということで外注できる家事はすべて外注していたとのこと。たとえば洗濯物はすべてクリーニングに出していたらしいのだが、周りからの陰口がひどかったのだ。「普段の洗濯物レベルでクリーニングに出すなんて母親失格!」とまで言われたそうな。
余計なお世話以外の何物でもない。周りに何の迷惑もかけていないし、自分たちの家計の許す範囲で家事を外に外注して、何が悪いのか。恐らく都会に住む多くの人にとっては理解不能だと思う*3。
to be continued