私が生まれ育った故郷の情景を今一度思い出してみる
都会にあって田舎にないもの・・・ - salmontiskunの日記の続きとして、私が生まれ育った故郷の情景を今一度振り返ってみたい。
私が18歳まで生まれ育った地域は、「ザ・田舎」と言っていい地域だ。私が生まれた町の人口もこの数十年で半減してしまった。私の通っていた小学校も一クラス一桁になり、近隣の小学校と合併することになった。母校の高校も生徒数減のあおりを受け、無くなった。実家から歩いて行ける範囲の距離にスーパーは存在しない。いわゆる限界集落といっていい。住民の大半が高齢者で、仕事の多様性に乏しく、都会から若者に来て定住してもらうのも難しい。田舎で生まれ育った若者も、仕事やさらなる高等教育を求めて、高校卒業後に田舎を離れる。
都会=リベラル、田舎=保守 という構図は、基本的に世界中どこでも通用する真理と思うが、私の故郷も例外ではない。とても保守的な地域だ。
政治的に保守的
まず、政治的にも、保守王国と言われ続けてきた。
私が物心つく前から常に自民党の候補者が国政選挙に勝ち続けてきた。自民党の国会議員*1が道路整備、公共施設建築などの利益誘導をもたらし、地盤を更に強固なものとしていった。老齢の私の親類曰く、昔は「選挙に行く」ということは、「自民党の候補者の投票する」ということにイコールであったらしい。最近は若年層を中心にそこまで政治的に保守であるという印象はないが、それでも私の故郷に住む者は、多かれ少なかれ直接的間接的に何等か自民党政治から依然利益誘導を受け続けている*2し、当面保守王国であり続けるか、と想像する。
コミュニティが閉鎖的、よそ者を締め出す傾向
次に、コミュニティの間での同質性圧力が強く、基本的に変化を嫌う傾向がある。新しい気風や考え方は受け入れられにくいのも事実だ。これは多くの田舎で共通する特徴だろうと思う。
忘れられない経験が一つある。
まず、私の実家は父が単身赴任で都会で大会社で働き、母は専業主婦で専ら家のことに従事するという、周りの家(大半は田畑を有する兼業農家)とはかなり異なった属性を持つ家であった。要は属性的に少し「浮いている」家であった。基本的に近所の人々のほとんどは気がいい性質で、普段のお付き合いにおいて大きな問題になるようなことはほぼなかったのだが、何か起こるたびに、「だからあの家は・・・よそ者で変わっているから」という微妙な扱いを受けた。
以前台風がもたらした大雨で河川が氾濫し、私の実家付近一帯床上浸水という大きな被害を被ったことがあった。どの家もまずは自分の生活を元に戻すべく、土砂に紛れた家財道具を廃棄しようと復旧に励むことになった。ただ、私の実家はそもそも属性が農家でなかったため、スコップもリヤカーもなく、復旧しようにも自ら何もできない、という状況だった。
そこで、近所の世帯に「お宅の世帯の復旧作業が一息ついたタイミングで、幾つか道具を貸していただけないだろうか?」と依頼した。その時は快く貸していただき、あとでお礼の品をお渡しし、それで一件落着と思っていたら、後に私の近所の間で「スコップもリヤカーも持ってないなんて、あの家はやっぱり変だ」といううわさが出回っていた、と人伝で聞かされる羽目になった。
その時、「やっぱり我々は一種のよそ者としてずっと見られ続けるんだ。陰口をたたかれ続けるんだ」と少し落ち込んだ。悲しみはなかったが、虚しさとか諦めのようなものは感じた。
(次に続く)