salmontiskunの日記

高校卒業まで田舎育ちで、そこそこ世間的に評価の高い都内国立大学および大学院に進学、その後都内IT企業で企画事務担当として働くアラフォーサラリーマンのブログです。特にテーマは決めてませんが、奨学金返済、マインドフルネス、などなど、「精神的、経済的、肉体的に幸せに生きるためには・・・」というテーマでブログを書いていきます。

なぜ日本で今、高プロを導入しても失敗するか

多様な働き方とは -昭和のモーレツサラリーマンからワークライフバランス重視派まで - salmontiskunの日記の続きである。

可能な限り、法制度および社会全体の感覚両面で、多様な労働観は尊重されるべきである

前回述べたことの繰り返しだが、私の基本的な立ち位置は、以下に集約される。

  • 近頃ワークライフバランスが声高に叫ばれ、昭和のモーレツサラリーマンではない様々な多様な働き方が法制度的にも社会通念的にも認められるようになってきており、それ自体は喜ばしいものだ。
  • 他方、現在の社会全体の風潮として「モーレツに働きたい」という強い願望を持つサラリーマンへの風当たりが強くなっており、そのような働き方が許容されない昨今の風潮(残業規制強化、有給取得目標設定)はある意味「多様な働き方の否定」とも思われる。
  • 労働観や体力有無、精神力の強さ弱さ、その人が置かれた状況など、人それぞれ全く異なり、望ましいワークスタイルは十人十色である。
  • 社会全体の幸福量を最大化するためには、「ワークライフバランスを重視する人」、「家庭の事情で時短勤務が必要な人」、「モーレツに働きたい人」などなど、可能な限り多様な人々の労働観に応えうる法制度が必要である。
  • 高プロ」はその意味では「モーレツに働きたい」という人の願望に応えうる制度と言える。
  • しかし今現時点において「モーレツに働きたい」人のことを考えて、高プロを導入しても悲惨な結末を迎える可能性が極めて高いと想像するv。

労働者が法制度上手厚く(幾分過保護に)保護されてきた背景

これまで、法制度的に日本の労働者が手厚く守られ、「モーレツに働きたい」という人々への対応が二の次とされてきたのにはそれなりの理由がある。日本に限らず資本主義社会において、労働者は常に資本家(≒会社)に対して常に弱い立場に置かれ、搾取されてきた歴史があるからだ。
産業革命初期のイギリスでは、一日14時間を超える労働*1が当たり前であったし、日本でも「女工哀史」、「あゝ野麦峠」、「蟹工船」などで描かれているように、資本家の利益追求の過程で多くの労働者が過酷な長時間の労働環境に置かれ、健康を害した。命を失うものも少なくなかった。

悲惨な境遇から労働者を救い出すことを目的に各国で労働者の権利を守る各種法律が制定され、日本でも戦後昭和22年になって労働基準法が制定された。ただ、それでもこの法律に従っう経営者がごく少数であった。これまで多くの法律違反が見られ、多くの人々が超過労働の犠牲になってきた。「過労死」が今や国際語であるのは有名な話であり、昨年の電通高橋まつりさんのニュースが象徴的であるが、平成30年の現代においても、多くの過労死が存在する事実から目を背けるわけにはいかない。
現状、「ワークスタイル派」にかなり傾いた法制度体系にも関わらず、実態としては「workaholic派」が当たり前、推奨される雇用環境が当たり前、というのが日本の実態である。
その前提で高プロを導入したら、益々もって「モーレツに働く」ことが主流になるであろうことは目に見えている。高プロを曲解、悪用して社員に高プロ長時間労働を押し付ける企業も出てくるだろうことも予測できる。労働基準法は有名無実化しているという声もあるが、もしもこの法律がなければ、過残業、過酷な労働が今以上に横行しているであろうことも容易に予想でき、その意味で不十分ながらも現行労働基準法は経営側の暴走を防ぐ歯止めとして機能していると言える。

高プロ導入の前提 -労働者が本人の完全な自由意志に基づいて働き方を決定できること

高プロが成立する(=「モーレツに働きたい」人含めた多様な働き方が認められる)ために、根本的に必要な要件は

  • 労働者と会社が対等な関係にあること
  • 対等な関係に基づき、労働者が完全な自由意志に基づいて自分が求める働き方を決定し、会社と交渉できること

の2点である。

日本では労働者の立場はあまりに弱い。特に中高年以上の男性サラリーマンの立場は。
以前より遥かにましになったとはいえ、雇用の流動性が低い日本において、年を重ねれば重ねるほど転職は難しくなり、現在勤めている会社の意に沿わない発言や行動を行うのは難しくなる。
高プロ導入の要件上「本人の同意が必要」とあるが、たとえば私の会社に置き換えて想像したとき、高プロ適用を打診された、嫌でも同意する以外にないという社員がほとんどと思う。会社の意向を忖度して。
高プロを受け入れた社員は、有形無形の優遇措置が会社から与えられるだろうし、その光景を目にした社員の多くは、自分の労働観に反して高プロ導入へとなだれ込むだろうと思う。

日本においては、会社が(特に中高年世代以上の)社員の生殺与奪権を有している。会社と社員の関係は対等ではなりえていないこの状況下で、高プロ導入に向けて舵を切るべきではない。

*1:児童労働者を含む