salmontiskunの日記

高校卒業まで田舎育ちで、そこそこ世間的に評価の高い都内国立大学および大学院に進学、その後都内IT企業で企画事務担当として働くアラフォーサラリーマンのブログです。特にテーマは決めてませんが、奨学金返済、マインドフルネス、などなど、「精神的、経済的、肉体的に幸せに生きるためには・・・」というテーマでブログを書いていきます。

多様な働き方とは -昭和のモーレツサラリーマンからワークライフバランス重視派まで

「多様な働き方を認める」とは

今さら言うまでもないが、人はそれぞれ異なる。得意な部分、苦手な分野、体力の有無、趣味嗜好、価値観、様々な要素が組みあがって一つの人間を形作る。労働観についてもそれぞれ異なるのは当たり前だし、人それぞれ取り巻く環境や事情もそれぞれだ。「多様な働き方を認める」とは人それぞれ異なる価値観、肉体的特性、置かれた状況などに応じ、一人一人最も望ましい形で、各自の希望が満たされる形で働ける環境を法制度的にも、社会慣習の観点でもk生成していくことだと思う。

大前提としては、長らく日本の労働者は、ある種画一的な「フルタイムで会社に滅私奉公的に働く男性のサラリーマン(18歳~60歳、ないし65歳)」とほぼ同義とされてきて、その前提で法制度も整備されてきた*1
その後、「フルタイムで働く男性サラリーマン」の像から外れる様々な属性の人々が労働市場に参入し、彼らが望む働き方に対応していく必要性に迫られ、ここ最近諸制度が整備され始め、社会制度変革に社会の感覚も追いついてきた、というのが(いささか乱暴で言葉足らずだが)戦後以降の日本の労働者をとりまく経緯なのだと思う。

「昭和のモーレツサラリーマン」的な働き方は社会の主流から外れつつある

一番変化が大きかったのは、女性を取り巻く労働環境だ。女性がライフステージの変化に伴っても働き続けられる諸制度整備は目覚ましい。1985年男女雇用機会均等法以降、職場において女性労働者が男性労働者と比較して差別的扱いを受けることは法的に認められなくなったし、社会全体として、女性が仕事を続ける上で女性特有の問題を乗り越えることに対し、寛容になってきていると思う。産休育休の取得、時短勤務、在宅ワークなどは、私の周りの女性既婚者は普通に取得しているし、全く珍しいものではない。
その他、自身の身内を介護のために時短勤務を行う、介護休暇を取得する、なども自分の周りで増えつつある、男女問わず。
また、私の会社では男性の育休取得も全く珍しくなくなってきた。

この、「昭和のモーレツサラリーマン」という画一的な働き方が主流ではなくなる方向に社会全体が向かっているという事実はとても良いことで、多様な人間の多様な働き方を肯定する動きは、今後も可能な限り推し進められてほしいと思う。極端なことを言えば、働き方の多様性を突き詰め、個々単位で異なる働き方を好きなように選択できる社会がベストと思う*2。そうなれば個々の幸福度が高まり、社会全体の効用度も高まる。

ここで気になるのは、現在の「多様な働き方を認める」という流れにおいて、「昭和の男性サラリーマン」的な、がむしゃらに滅私奉公的に働く、という労働スタイルが否定的な文脈でのみ扱われる傾向がある点だ。
「高プロ」をめぐる議論を始める前に・・・まずは自分の立ち位置を整理する - salmontiskunの日記でも述べたが、今でも自ら個人の自由意志の下で(←この点は極めて重要)、むしゃらに寝る間を惜しんで働きたい、会社のために働くことが自己実現だ、と考える人は沢山いる。そのようなworkaholic的な労働スタイルを、周りに強要するようなことがあったら勿論問題だし、そのような働き方が主流、という雰囲気が蔓延するような社会は私も断じて望まない。
しかし、「がむしゃらに働きたくない」という人に働け、というのは論外であるとすれば、「がむしゃらに働きたい」という人に働くな、というのは「余計なお世話」だと思う。
良い例かどうかはわからないが、たとえば、プロスポーツ選手であれば、練習時間はコーチと本人が綿密に話し合ってお互い納得づくで決めるべきものだし、練習時間や休日について法律で筋合いを出すべきものでない。学生時代の受験勉強も同じだ。どれくらい勉強するかしないかは、個人が個人の判断で決めるべきものだ。
労働時間を一律に万人同じ条件で法律で縛るようなやり方ではなく、もっとうまいやり方がある気がするのだ。

もちろん、現在の労働基準法における労働時間の制限や休暇日数に関する規定が無意味、とは思っていない。産業革命以降資本主義社会において搾取されてきた労働者の過酷な歴史を踏まえ、悲惨な労働者の発生をいかに防ぐか、という思いで、前人たちが叡智を絞った結果の結晶であるのも事実で、現状の資本家-労働者という関係における搾取を防ぐ一定の歯止めになっているという事実は私も認める。安易に労働基準法の改定を行うべきではないと思うし、今現時点で高プロを導入しても悲惨な結末しか見えない、という様々な論者の意見に、私は100%同意する。

その上で、日本がWorkaholicな人たちの思いも含めた、多様な働き方を認めるために、どうあるべきか、を考えてみたいのだ。
(to be continued)

*1:たとえば、配偶者控除制度の存在、男性総合職と女性一般職の区別

*2:そうなると、労働者全員が個人事業主のような扱いになりそうな気する