salmontiskunの日記

高校卒業まで田舎育ちで、そこそこ世間的に評価の高い都内国立大学および大学院に進学、その後都内IT企業で企画事務担当として働くアラフォーサラリーマンのブログです。特にテーマは決めてませんが、奨学金返済、マインドフルネス、などなど、「精神的、経済的、肉体的に幸せに生きるためには・・・」というテーマでブログを書いていきます。

田舎のコミュニティと東京の著名難関大学出身者のコミュニティの違い -その3

昨日の内容に続く。

親の職業の違い

田舎のコミュニティの場合

自分が高校まで過ごした田舎の友人の両親の職業を思い起こしてみると・・・農業、行業、林業、地方公務員、教員、自動車整備業、小売業、観光業界関係者、医療関係者、土木関係作業者*1、などなど。(写真はイメージです)

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専ら地元のために働き、地元のために価値提供をするという地元コミュニティ内で完結する仕事がほぼすべてといってよい。一日、一年、一生のほぼ全ての時間を地元で過ごす。地元で生まれ育ち、学生時代一時的に都会に出ることはあっても、最終的に地元に戻って職を見つけ働いた後、地元でその一生を終えるという人生だ。いわゆる大企業の総合職サラリーマン、国家公務員などは皆無であった。

東京の著名難関大学出身者のコミュニティの場合

翻って、私が大学に入って出会った友人の両親の職業を思い起こすと・・・地方出身者だと私と大差はないものの、東京で小学校 or 中学校から私立学校に通っている友人であれば・・・外交官、官僚、大手都市銀行の銀行マン、カメラマン、総合商社の商社マン、大手ゼネコン勤務、大学教授などなど。どれもこれも田舎では存在しない職業であった。そもそも、このブログ記事にも記載があったが、田舎には「普通のサラリーマン」というものが少ないのだ。

また帰国子女が少なくなかったというのも新鮮であった。アメリカ、イギリス、ドイツ、中国、タイなど有名どころだけではなくアフリカの聞いたことのないような国で数年過ごした経験があるなど。結果的に語学に堪能な友人も多く、また普通に会話のトピックにも自分の実体験を踏まえた海外事情をさりげなく盛り込むなど、話していて知

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幸せの形

わざわざここで持ち出す議論ではないのを百も承知であえて言う。田舎のコミュニティで生まれ育って一生を過ごす人生と、都会の著名難関大学出身者のコミュニティで過ごす人生のどちらが優れているかとかどちらが幸せかとか、比較することに意味は皆無だし、そのつもりはない。それこそ人それぞれだし、どちらの人生も一長一短はあるのでどちらが合うかはその人の性質によるのだと思う。

両方のコミュニティを経験した私個人の立場から言えば、キャリアとか人生の目標とかそういった面では大学入学以降のコミュニティの友人から重要な影響を受けたし、知的好奇心や脳の働きを活性化させるような刺激を受けるのも、彼らからだった。何より、経験の幅の広さ、様々な分野の知識の広さと深さが段違いなのだから、当然だ。

大きな刺激を受けた友人の例を取り上げる。その友人は本気で国際機関職員になりたいと思っていて、そのためには英語だけではなく仏語ができるとよいという情報を得、英語はTOEFL110点を獲得済で、仏語も仏検準二級二級と取得に励んでいる。彼の姿から私は常に「現状に甘んじることなく、キャリアを充実させるべく自己啓発に励まなければ」と心地よい刺激、モチベーションを得ている。

田舎の友人はどちらかというと現状維持、今の生活を安定して守り、継続させること、に力を注いでいる傾向があり、それはそれで正しい「幸せ」の追求方法なのだと思う。ただ、東京で暮らしている中で常に実感させられる「変化の激しい現代社会」において、現状維持=人生のリスクが拡大する、というのは一つ重要な真実であると私は考えていて、「時代の流れに取り残されない」ように、「自己研鑽に励み、変化に対応していく」ための様々な刺激が得られるという点では、東京の著名難関大学出身者のコミュニティの方が私にとって価値がある。

*1:私が高校卒業する頃、要は今から20年くらい前までは、特に土木関係に従事するお家が多かった印象である。小泉首相が「聖域なき構造改革」を掲げて首相に就任したのは2001年。それ以前は、今ほど「無駄な公共事業」というものに対する風当たりは大きいものではなく、山道を作ったり、河川護岸工事を行ったりという公共工事による都会から地方への富の再配分がある程度許容されていたのだと思う。