田舎のコミュニティと東京の著名難関大学出身者のコミュニティの違い -その2
最近私と同じような経験をした筆者による記事やブログ、また同じようなテーマを扱った記事にであった。
その1. 私は別に絶望はしなかったが、文化的な隔絶に関する体験はほぼ同じ
その2. 私の身内はこの方ほどではなかったが、心象風景は大体この方と同じ
その3. 「違う日本が見えている」という表現はとてもしっくりする。ただ、違う日本を語る際に、「大卒」と「高卒」と分けて考えるのはとても違和感がある・・・Fランの大学であれば、大卒も高卒も世界の見え方にそこまで大きな差はないように思う。私なら「地方の田舎のコミュニティと、都会の名門大学出身卒のコミュニティでは、違う日本が見えている」と表現する。
以上の記事を踏まえて、自分の言葉で「自分が18まで育った環境」と「自分が大学で出会い、以降存在し続けている環境」との間の違いを語るとするならば・・・一言でいうのは難しいので、幾つかの事象を取り上げつつ「見えている世界の違い」を語りたい。
人生の目標、キャリア志向の違い
田舎にいた頃には想像しなかった、崇高な目標をもち、その達成に向けて努力を怠らない友人が大学入学後のコミュニティにはたくさんいた。
- その1: アメリカで教員として働く友人のケース。ユダヤの歴史と文学が大好きで、ユダヤ文学研究を追求すべく欧米大学に留学、イディッシュ文学で学位論文を記載、その後Ivy Leagueの一つである某大学で博士号を取得、アメリカの某大学で教鞭をとっている。
- その2: ジュネーブの某国際機関で働く友人のケース。世界の平和貢献のために働きたいという思いを持ち、大学卒業後、最初は日系某シンクタンクでキャリアをスタートさせた後、某国際機関採用試験を受験、合格後、ジュネーブでセカンドキャリアをスタートしている。
- その3: ベンチャーキャピタリストとして働く友人のケース。「いつかは自分で事業を起こしたい」という強い思いを持ち、大学卒業後は某コンサル会社で戦略コンサルタントとしてキャリアをスタート。その後事業会社に転職、幾つかの事業の経営に携わった後、再度転職し、ベンチャーキャピタリストとしてのキャリアをスタート。これまで培ってきた経験を活かし、いつかは自分で事業を起こすことを今でも狙っている・・・はず?
それ以外にも「キャリア」という観点で尊敬すべき友人が数多くいるのが大学入学後のコミュニティなのだ。田舎のコミュニティの友人たちもとても大事だし、尊敬すべき点はたくさんあるが、人生の目標、善き人生の生き方、キャリアの充実度、といった観点では、その差は格段に大きい。「こういう目標設定をもって、こういう仕事に取り組み、こういう生き方をしてみたい」という観点で刺激や影響を受けるのは、やはり大学以降のコミュニティからである。