田舎のコミュニティと東京の著名難関大学出身者のコミュニティの違い -その1
私が高校卒業まで生まれ育った環境
私の故郷は、東京に出るにも6時間、大阪/名古屋に出るにも3時間という陸の孤島に位置する。田舎中の田舎で、ここ数年激化する過疎化のスピードが緩和する気配はない。仕事の選択肢も乏しい上に、それなりの生活レベルが可能な収入の職業も限定的なため、若い世代は田舎を出て、首都圏、阪神圏に出て行ってしまう。結果的に子どもの数もどんどん減り、私の出身高校も廃校になってしまった。
教育に熱心な地域でもなく、小学校の同級生で高校卒業後大学に入学したのは2割程度。専門学校に進んだのが3割で、5割は中卒、高卒で働き始めていた。さらに、同級生の半数弱は地元に住み続けている。過疎化が進み、生活環境的にもさらに厳しくなりつつある地元に。
地元に残った友人の何人かとは今でも交友関係を継続しており、彼らは私にとって本当に大事にしたい一生の友だ。帰省時に地元の居酒屋で昔を懐かしみながら彼らと思い出話をする一時は、心の緊張が緩和され、東京の生活のストレスを癒す最高の時間だ。今後も交友関係を続けていきたい。
ただ、それでも私は地元を離れ、高い学費を払ってでも、社会的評価の高い大学に入学し、東京で暮らすという選択肢を取ってよかったし、自分の人生において現在進行形でプラスの影響を与え続けていると思う。
田舎者が都会の名門難関大学に入学するということ
まず、過疎化最前線の片田舎出身の自分にとって、運よく日本でも有数の大学に入学できた際に味わった「異なる進んだ世界との出会い」に対する感情は、どう表現するのが適切だろうか。
- 明治維新後に選ばれし日本人が欧米諸国に洋行、もしくは留学した際に感じたカルチャーショック(いや、それはいくら何でも言い過ぎ)
- 貧富の差が激しい発展途上国の中で、未開の経済的に取り残された地で育った秀才が都会の洗練された一流大学に入学して味わう純粋なお驚きと気恥ずかしさ。たとえて言うなら、中国の雲南省とか貴州省の若者が北京大学とか精華大学に入学して圧倒される感じ(若干それに近いが、多分そこまでではない)
日本は最近でこそ格差が広がった社会と言われているものの、私が大学に入学に留学した約20年前は、日本全体として「格差」というキーワードは今ほど蔓延していなかった記憶がある。「一億総中流社会」という幻想は根強く生き残っていた。
私自身、奨学金を借りないと大学に行くのは苦しかったし、長男である父が自分の両親(僕にとっての祖父母)を経済的に扶養する必要があったなど、お世辞にも裕福な家庭ではではなかったが、それでも衣食住、学習面、習い事などで不自由を感じた経験はなく、少なくとも自分の家庭が「下流」と感じたことはなかった。
ただ、そんな今ほどあらゆる格差(中央 vs 地方、富裕層 vs 貧困層)が近くされることがなかった当時ですら、自分が感じたカルチャーショックはそれなりに圧倒的であった(←「それなりに圧倒的」とは日本語として変な表現だが、妙にしっくりくる表現)。
少々長くなってきてしまった。次回に続く。