salmontiskunの日記

高校卒業まで田舎育ちで、そこそこ世間的に評価の高い都内国立大学および大学院に進学、その後都内IT企業で企画事務担当として働くアラフォーサラリーマンのブログです。特にテーマは決めてませんが、奨学金返済、マインドフルネス、などなど、「精神的、経済的、肉体的に幸せに生きるためには・・・」というテーマでブログを書いていきます。

私は奨学金を借りてでも大学に行くことで、高い費用対効果(ROI)を得ることができた

私は奨学金を借りてでも大学に行くことで、高い費用対効果(ROI)を得ることができた

自分のケースについていえば、私は何だかんだ言って、多額の負債が人生に様々な影響を与えたものの、それでも奨学金を借りてでも大学、大学院に進学してよかったのだと今は思っている。高校時代は特に人生を賭けてやりたいことが見つかったわけではなく、一種のモラトリアム期間として大学に行くことにした自分ではあるが・・・・(今思えばもう少しちゃんと高校の頃考えておけばよかったと今は思う)

勉強は中学高校と田舎の公立学校で一生懸命頑張った結果、それなりの学力をつけることができたため、一応日本でも有数の難関、名門といわれる理系国立大学に運よく進学できたた。当時は今以上に有名大学卒のブランド力が社会で効力を発揮していた印象があり、結果的に超氷河期と言われる時代の就職活動においても致命的な失敗はしなくて済んだ。労務管理もそこそこしっかりした、安定して給料が支払われ、それなりに安定して昇給する現在の会社に就職できたのも、大学のネームバリューが多大にプラスに働いたのは間違いない。

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大学で得られた高い社会的階層出身の友人との交友関係は一生の財産

それ以上に、大学、大学院で得られた交友関係は本当に得難いものだと確信している。ある大学生が所属する大学の偏差値もしくは社会的評価の高さと、その学生の出身社会階層の間には明らかに正の相関関係がある。知的な趣味、高い教養、視野の高さ、などなど、英語ではnoblesse oblige というだろうか。故郷では高卒、良くて専門学校卒業という人たちが周りのほとんどであった環境から来た自分には到底想像できない出自の人々と交友関係を築けたのは、いわゆる「いい大学」に入学できたものの特権だと確信する。

父親が外交官で幼少期から中学卒業までヨーロッパで過ごし、英語はネイティブレベルで現在は某国際機関で専門職で働いている先輩、Ivy Leagueの一つである某大学で文学博士号を取得し、現在アメリカで大学教員として働いている友人、普通に博士号取得者は何人もいるし、海外駐在して働いている友人も何人もいる。

田舎で生まれて田舎で育って田舎で一生を過ごす人生が劣っているなどというつもりは毛頭ない。人それぞれ幸せは十人十色だし、田舎で安定した平和な一生を終えるのも、それはそれで素晴らしい幸せな生き方だと思う。ただ、田舎でそういう「高い社会階層の」の世界が存在することすら想像できなかった舞台で活躍できる可能性に触れられ、また高い目標意識、向上心をもって、その実現に励んでいく友人たちと過ごすことで、自分も刺激を受け、曖昧な表現であるが、「善き人生を正しく生きる」術を学び取れたと思う。

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