salmontiskunの日記

高校卒業まで田舎育ちで、そこそこ世間的に評価の高い都内国立大学および大学院に進学、その後都内IT企業で企画事務担当として働くアラフォーサラリーマンのブログです。特にテーマは決めてませんが、奨学金返済、マインドフルネス、などなど、「精神的、経済的、肉体的に幸せに生きるためには・・・」というテーマでブログを書いていきます。

奨学金を借りても大学に行ってよさそうなケース -その1

大学卒業という肩書を得ることの費用対効果(ROI)がかつてほどではなくなった現在、どのようなケースであれば奨学金を借りてまで大学に行く価値があるか。言い換えればある程度の費用対効果(ROI)が期待できるか。私見ながらいくつかのケースを列挙してみたい。

大学に入って本気で勉強したい、極めたい分野があるケース

「なんとなく皆が大学に行くから」とか、「親が『大学くらいは出ておいた方がいいというから』」とかいう理由の対極に位置するケースである。

「国文学を極めたい」「砂漠を緑化したい」など、本気で人生をかけて極めたい分野があり、そのために大学に行く必要がある、というのであれば奨学金で大学に行くという選択は間違っていないと思う。一種の起業家精神に通じる思うが、自分の人生をなげうって打ち込むくらいの気概が持てている場合は、なんらか道が開け、人生が袋小路に陥ることはないケースが多いように見える。自分の身の回りを見ても。

ただ、自分の高校時代を考えてみてもそうだが、おそらく9割以上の高校生は、そこまで自分の人生を深く考えることもないだろうし、人生をかけてこれをやりたいという確固たる思いを持つ分野もないかと思うので、これは一部の例外的ケースかなとは思う。

難関大学への進学できるほどの学力を有するケース

やりたいことが特に思い浮かばず、やりたいことを探すモラトリアム期間として大学にいきたい、という高校生の貴方へ。親が学費を全額負担できるほどの経済力を有する場合はともかく、奨学金を借りて大学に行く場合、最低線MARCH、関関同立レベルの大学に入学できるほどの学力を蓄えることを強くお勧めする。

特に、文科系のいわゆるつぶしが効かないという学部学科志望の場合、できれば早慶上智旧帝大レベルを卒業しておいた方がよい。昭和の人生設計モデルが崩れたのは事実であるにしても、未だに一部難関大学卒業者を礼賛する風潮は高齢者を中心に日本の主流で根強い。奨学金返済にあたってはまず一般企業なり公的機関なりに就職して返済、というのがまず一般的なパターンだが、その際評価の高い大学であればあるほどまともな企業への就職の確率が高まる。

奨学金返済に滞っている多くのケースが社会的評価の低い大学出身者であることは頭に入れておく必要がある。

学力も持たないまま周囲に流されてただ何も考えず大学に入学しても、そこには薔薇色の未来など待っていない。

(以下、独自集計!全大学「奨学金延滞率」ランキング より)

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