salmontiskunの日記

高校卒業まで田舎育ちで、そこそこ世間的に評価の高い都内国立大学および大学院に進学、その後都内IT企業で企画事務担当として働くアラフォーサラリーマンのブログです。特にテーマは決めてませんが、奨学金返済、マインドフルネス、などなど、「精神的、経済的、肉体的に幸せに生きるためには・・・」というテーマでブログを書いていきます。

なぜ日本で今、高プロを導入しても失敗するか

多様な働き方とは -昭和のモーレツサラリーマンからワークライフバランス重視派まで - salmontiskunの日記の続きである。

可能な限り、法制度および社会全体の感覚両面で、多様な労働観は尊重されるべきである

前回述べたことの繰り返しだが、私の基本的な立ち位置は、以下に集約される。

  • 近頃ワークライフバランスが声高に叫ばれ、昭和のモーレツサラリーマンではない様々な多様な働き方が法制度的にも社会通念的にも認められるようになってきており、それ自体は喜ばしいものだ。
  • 他方、現在の社会全体の風潮として「モーレツに働きたい」という強い願望を持つサラリーマンへの風当たりが強くなっており、そのような働き方が許容されない昨今の風潮(残業規制強化、有給取得目標設定)はある意味「多様な働き方の否定」とも思われる。
  • 労働観や体力有無、精神力の強さ弱さ、その人が置かれた状況など、人それぞれ全く異なり、望ましいワークスタイルは十人十色である。
  • 社会全体の幸福量を最大化するためには、「ワークライフバランスを重視する人」、「家庭の事情で時短勤務が必要な人」、「モーレツに働きたい人」などなど、可能な限り多様な人々の労働観に応えうる法制度が必要である。
  • 高プロ」はその意味では「モーレツに働きたい」という人の願望に応えうる制度と言える。
  • しかし今現時点において「モーレツに働きたい」人のことを考えて、高プロを導入しても悲惨な結末を迎える可能性が極めて高いと想像するv。

労働者が法制度上手厚く(幾分過保護に)保護されてきた背景

これまで、法制度的に日本の労働者が手厚く守られ、「モーレツに働きたい」という人々への対応が二の次とされてきたのにはそれなりの理由がある。日本に限らず資本主義社会において、労働者は常に資本家(≒会社)に対して常に弱い立場に置かれ、搾取されてきた歴史があるからだ。
産業革命初期のイギリスでは、一日14時間を超える労働*1が当たり前であったし、日本でも「女工哀史」、「あゝ野麦峠」、「蟹工船」などで描かれているように、資本家の利益追求の過程で多くの労働者が過酷な長時間の労働環境に置かれ、健康を害した。命を失うものも少なくなかった。

悲惨な境遇から労働者を救い出すことを目的に各国で労働者の権利を守る各種法律が制定され、日本でも戦後昭和22年になって労働基準法が制定された。ただ、それでもこの法律に従っう経営者がごく少数であった。これまで多くの法律違反が見られ、多くの人々が超過労働の犠牲になってきた。「過労死」が今や国際語であるのは有名な話であり、昨年の電通高橋まつりさんのニュースが象徴的であるが、平成30年の現代においても、多くの過労死が存在する事実から目を背けるわけにはいかない。
現状、「ワークスタイル派」にかなり傾いた法制度体系にも関わらず、実態としては「workaholic派」が当たり前、推奨される雇用環境が当たり前、というのが日本の実態である。
その前提で高プロを導入したら、益々もって「モーレツに働く」ことが主流になるであろうことは目に見えている。高プロを曲解、悪用して社員に高プロ長時間労働を押し付ける企業も出てくるだろうことも予測できる。労働基準法は有名無実化しているという声もあるが、もしもこの法律がなければ、過残業、過酷な労働が今以上に横行しているであろうことも容易に予想でき、その意味で不十分ながらも現行労働基準法は経営側の暴走を防ぐ歯止めとして機能していると言える。

高プロ導入の前提 -労働者が本人の完全な自由意志に基づいて働き方を決定できること

高プロが成立する(=「モーレツに働きたい」人含めた多様な働き方が認められる)ために、根本的に必要な要件は

  • 労働者と会社が対等な関係にあること
  • 対等な関係に基づき、労働者が完全な自由意志に基づいて自分が求める働き方を決定し、会社と交渉できること

の2点である。

日本では労働者の立場はあまりに弱い。特に中高年以上の男性サラリーマンの立場は。
以前より遥かにましになったとはいえ、雇用の流動性が低い日本において、年を重ねれば重ねるほど転職は難しくなり、現在勤めている会社の意に沿わない発言や行動を行うのは難しくなる。
高プロ導入の要件上「本人の同意が必要」とあるが、たとえば私の会社に置き換えて想像したとき、高プロ適用を打診された、嫌でも同意する以外にないという社員がほとんどと思う。会社の意向を忖度して。
高プロを受け入れた社員は、有形無形の優遇措置が会社から与えられるだろうし、その光景を目にした社員の多くは、自分の労働観に反して高プロ導入へとなだれ込むだろうと思う。

日本においては、会社が(特に中高年世代以上の)社員の生殺与奪権を有している。会社と社員の関係は対等ではなりえていないこの状況下で、高プロ導入に向けて舵を切るべきではない。

*1:児童労働者を含む

多様な働き方とは -昭和のモーレツサラリーマンからワークライフバランス重視派まで

「多様な働き方を認める」とは

今さら言うまでもないが、人はそれぞれ異なる。得意な部分、苦手な分野、体力の有無、趣味嗜好、価値観、様々な要素が組みあがって一つの人間を形作る。労働観についてもそれぞれ異なるのは当たり前だし、人それぞれ取り巻く環境や事情もそれぞれだ。「多様な働き方を認める」とは人それぞれ異なる価値観、肉体的特性、置かれた状況などに応じ、一人一人最も望ましい形で、各自の希望が満たされる形で働ける環境を法制度的にも、社会慣習の観点でもk生成していくことだと思う。

大前提としては、長らく日本の労働者は、ある種画一的な「フルタイムで会社に滅私奉公的に働く男性のサラリーマン(18歳~60歳、ないし65歳)」とほぼ同義とされてきて、その前提で法制度も整備されてきた*1
その後、「フルタイムで働く男性サラリーマン」の像から外れる様々な属性の人々が労働市場に参入し、彼らが望む働き方に対応していく必要性に迫られ、ここ最近諸制度が整備され始め、社会制度変革に社会の感覚も追いついてきた、というのが(いささか乱暴で言葉足らずだが)戦後以降の日本の労働者をとりまく経緯なのだと思う。

「昭和のモーレツサラリーマン」的な働き方は社会の主流から外れつつある

一番変化が大きかったのは、女性を取り巻く労働環境だ。女性がライフステージの変化に伴っても働き続けられる諸制度整備は目覚ましい。1985年男女雇用機会均等法以降、職場において女性労働者が男性労働者と比較して差別的扱いを受けることは法的に認められなくなったし、社会全体として、女性が仕事を続ける上で女性特有の問題を乗り越えることに対し、寛容になってきていると思う。産休育休の取得、時短勤務、在宅ワークなどは、私の周りの女性既婚者は普通に取得しているし、全く珍しいものではない。
その他、自身の身内を介護のために時短勤務を行う、介護休暇を取得する、なども自分の周りで増えつつある、男女問わず。
また、私の会社では男性の育休取得も全く珍しくなくなってきた。

この、「昭和のモーレツサラリーマン」という画一的な働き方が主流ではなくなる方向に社会全体が向かっているという事実はとても良いことで、多様な人間の多様な働き方を肯定する動きは、今後も可能な限り推し進められてほしいと思う。極端なことを言えば、働き方の多様性を突き詰め、個々単位で異なる働き方を好きなように選択できる社会がベストと思う*2。そうなれば個々の幸福度が高まり、社会全体の効用度も高まる。

ここで気になるのは、現在の「多様な働き方を認める」という流れにおいて、「昭和の男性サラリーマン」的な、がむしゃらに滅私奉公的に働く、という労働スタイルが否定的な文脈でのみ扱われる傾向がある点だ。
「高プロ」をめぐる議論を始める前に・・・まずは自分の立ち位置を整理する - salmontiskunの日記でも述べたが、今でも自ら個人の自由意志の下で(←この点は極めて重要)、むしゃらに寝る間を惜しんで働きたい、会社のために働くことが自己実現だ、と考える人は沢山いる。そのようなworkaholic的な労働スタイルを、周りに強要するようなことがあったら勿論問題だし、そのような働き方が主流、という雰囲気が蔓延するような社会は私も断じて望まない。
しかし、「がむしゃらに働きたくない」という人に働け、というのは論外であるとすれば、「がむしゃらに働きたい」という人に働くな、というのは「余計なお世話」だと思う。
良い例かどうかはわからないが、たとえば、プロスポーツ選手であれば、練習時間はコーチと本人が綿密に話し合ってお互い納得づくで決めるべきものだし、練習時間や休日について法律で筋合いを出すべきものでない。学生時代の受験勉強も同じだ。どれくらい勉強するかしないかは、個人が個人の判断で決めるべきものだ。
労働時間を一律に万人同じ条件で法律で縛るようなやり方ではなく、もっとうまいやり方がある気がするのだ。

もちろん、現在の労働基準法における労働時間の制限や休暇日数に関する規定が無意味、とは思っていない。産業革命以降資本主義社会において搾取されてきた労働者の過酷な歴史を踏まえ、悲惨な労働者の発生をいかに防ぐか、という思いで、前人たちが叡智を絞った結果の結晶であるのも事実で、現状の資本家-労働者という関係における搾取を防ぐ一定の歯止めになっているという事実は私も認める。安易に労働基準法の改定を行うべきではないと思うし、今現時点で高プロを導入しても悲惨な結末しか見えない、という様々な論者の意見に、私は100%同意する。

その上で、日本がWorkaholicな人たちの思いも含めた、多様な働き方を認めるために、どうあるべきか、を考えてみたいのだ。
(to be continued)

*1:たとえば、配偶者控除制度の存在、男性総合職と女性一般職の区別

*2:そうなると、労働者全員が個人事業主のような扱いになりそうな気する

「高プロ」をめぐる議論を始める前に・・・まずは自分の立ち位置を整理する

働き方改革法案が2018/5/31 衆議院本会議で可決され、参議院での審議が始まった。現状の衆参両院の議席の状況を踏まえると、法案に多少の修正が入ったとしても最終的には可決されることと思う。
www.huffingtonpost.jp

高プロ」とは

働き方改革法案で議論が白熱した対象の一つが、「高度プロフェッショナル制度(通称 高プロ)」についてであった。残業代0とかホワイトカラーエグゼンプションとか過去様々な別名で呼ばれてきた高プロ、様々な記事で分かりやすい解説がなされているが、自分の理解も兼ね、あえてあらためて高プロの制度概要をここでまとめるとにする。*1

  • 対象者は年収1,075万円以上の高度なプロフェッショナル業務従事者・・・要は、高給取りの専門職従事者が対象、ということのようだ。想定されている高プロ業務従事者として、金融機関のディーラー、コンサルタント、研究者などが挙げられている。なお、「職務内容が明確に決まっていること」という要件もあり、欧米の雇用環境において一般的な「ジョブディスクリプション」*2を意識しているようだ。
  • 労働時間が青天井・・・高度プロフェッショナル業務に従事する者は、「成果と労働時間が関連しない」とされ、労働基準法における労働時間の規制が適用されない。一日何時間でも一月何時間でも働くことができる*3。いわゆる過労死ラインと言われる一月80時間を超える労働が続いたとしても、法の保護を受けられない。
  • 休日、休息規定も現行労働関連法とは異なる規定・・・高プロの対象者の休日は、1年間で104日、4週間で4日以上付与されるべき、らしい。長期休暇を除くと、平均して大体1週間に1日程度は休ませなさい、という意図のようだ。

上記高プロの制度概要は、長時間ストレスフルな環境で働かされている日本のサラリーマンの神経をいたく刺激する内容であった。昨年の電通の高橋まつりさんの過労死事件の記憶もまだ新しい中、「過労死を量産する気か」と野党や労組が厳しく批判している。
ただ、高プロが無制限に導入されることのないように、以下のような規定も存在することは明記しておきたい。

  • 本人の同意が必須。また同意の撤回が可能という情報もある。
  • 労使委員会*4の5分の4以上の同意が、高プロの導入の前提条件である。
  • 経営陣は、労働者の労働時間を把握する必要がある。
  • 休日や労働時間に何らかの措置を取ること*5

高プロ」が目指そうとする方向性自体は間違っていない・・・と思うが・・・

私は、「高プロ」が目指すべき方向性自体については、どちらかというと賛成の立場である。そもそも全労働者一律に、週40時間勤務を前提とし、残業時間の月限度を45時間まで、年限度を360時間まで、と置くのは現実に即していないと感じる。少なくとも、現状の労働基準法は「会社が大好きで、長時間働いて成果を出したい」と考える労働者の存在は二の次に置いていることは否定できないと思う。たとえば、ベンチャー企業で働くものの殆どにとっては、雇用側であれ、雇用される側であれ、労働基準法は何の存在価値もない法律である。彼らは自分の意思でひたすら寝る間を惜しんで働いている。自分の夢を実現するために。

ベンチャーに限らず、「会社で働くのが大好きで、会社に長時間いることに何のストレスも感じない」という労働者は大企業にもいると思う。実際私の同僚にもいる。独身のその彼はとにかく仕事が好きで、長時間働いて成果を出すことが現時点での最大の人生目標だとのこと。最近残業に関する社会的な視線が厳しくなり、ワークライフバランスが声高に主唱されるようになった影響で、私の会社も勤怠管理を極めて厳格に実施するようになり、その彼も「最近会社からの残業規制がきつい。思う存分働けないから、欲求不満がたまっている」と私に愚痴をこぼしていた*6

要は「会社で働くこと」に対する考え方は人それぞれで、労働に対する価値観が多様であるという当たり前の事実を踏まえると、全労働者を一律に週40時間という制限に労働者を縛るのは、万人を幸せにしない、と思う。
人それぞれ状況も価値観も違うという前提に立ち、人それぞれ個々の状況に応じた労働環境が提供されれば、よいのだ。
会社でのキャリアを追求し、仕事が自己実現の手段となっている者にたいしては、労働時間の縛りなく、まさに「高プロ」で定義されているような労働環境が与えられ、ワークライフバランス重視派の方々には現行労働基準法に準ずる労働環境が用意されれば、それがベストではなかろうか。

以上の私の基本的な考え方を述べたが、ただ、「高プロ」を今の日本で導入すると悪影響の方が多く、悲惨な結果があちらこちらで見られそうな気がする。というわけで、私は高プロが目指そうとする方向性については反対ではないが、現時点での高プロの導入は反対である。その理由は次回の記事で述べたい。

*1:高プロについては、以下 「高プロ」導入で問われる「労働組合」 働き方が多様化する時代で「存在意義」はどこに? - 磯山友幸のブログや、『高度プロフェッショナル制度』とは?「同制度で柔軟な働き方が可能になる」は本当か?(弁護士が解説)(2018年5月29日追記) | 残業証拠レコーダー を参照した。

*2:ジョブディスクリプションの詳細は、「ジョブ・ディスクリプション」とは? - 『日本の人事部』 がわかりやすい。

*3:雇用側が労働者を無制限に働かせられる、とも言える

*4:経営陣と労働者の側をそれぞれ代表する委員からなる委員会

*5:深夜労働回数の上限、1年に必ず2週間以上の休暇を与えること、等々

*6:彼は家に仕事を持ち帰って種々作業をしているようだが、会社に比べて効率は落ちると言っていた

田舎のコミュニティ=政治哲学で言うところの共同体主義?

私が生まれ育った故郷(田舎)におけるプライバシーの概念 とは - salmontiskunの日記の続きである。

リベラル コミュニタリアン論争

少し話を脱線する。
20年近く前、大学院で政治学のゼミを受講することになり*1「リベラル - コミュニタリアン論争」に関する書物を参加メンバーの間で読み、議論する機会があった。大学院を卒業し、IT企業で働き始めて以来本腰入れて政治哲学の書籍を読む機会もなくなったため、当時学んだことは大分忘れてしまってしまったが、覚えている範囲で過去議論した内容を簡単にまとめると(専門家の方、下記誤った記載内容があれば、是非指摘してください!)・・・

  • 共同体主義は、ジョン・ロールズが主唱する自由主義 - Wikipediaに対抗する概念として、マイケル・ウォルツァーマイケル・サンデルなどを中心に理論化、発展してきた政治思想である。
  • 自由主義が、国家やその他集団からの権威、統制から各個人が自由であるべき、各個人が独立した存在であるべきという考え方に依拠するのに対し、共同体主義の論者は「人間が完全に独立した存在でいることは不可能で、家族や自分に身近な人とつながり(コミュニティ)の中でのみ生きられ、幸せでいられる」という考え方を取る。
  • 自由主義共同体主義とは完全に対立する概念ではない。共同体主義者は、ある共同体がそのメンバーの自由を制限するような事態は決して許容しない。自由主義の立場を肯定しつつも、共同体やその規範の価値や意義をより強調する点が自由主義と異なる。

田舎は都会に比べて共同体主義の傾向が強い

コミュニティのつながりの強さ、共同体メンバーが順守することが期待されている様々なルールが存在すること、などを鑑みると、田舎は都会に比べて共同体主義の傾向が強い、と言ってよいと思う。そして、共同体主義がもたらす様々な正の側面が田舎では享受可能であることも、これまた事実と思う。極端な形で個の独立が追求されすぎると、人は孤立化し、必ずしも幸せな状態にはならない、というのは事実だと思う。極端な例をあげれば、たとえば、都会のアパートで孤独死に至る高齢者、など。

田舎では煩わしい近所付き合いから逃れることは不可能だが、反面その近所付き合いのおかげで、孤独死に至るようなことはないだろう。少なくとも、私の故郷では町中皆家族のような状態で、孤独死はまずありえない。
また一見煩わしく見える半強制的な青年会や区民会活動も、田舎のコミュニティ内メンバーの絆を深めることに一役買っているのだろう。そのような普段の活動を通じ、お互い顔を見知った仲であるからこそ、田舎では都会より「困ったときはお互い様」の精神が息づいているし、快くお互いの苦境時には見返りを期待しない助け合う関係が成立しうるのだと思う。
たとえば、以前私の地域を水害が襲い、私の実家も床上浸水という大きな被害を受けたことがあったが、地域内で親しくさせて頂いている幾つかの世帯の方々は、手弁当で復旧活動を手伝いに来てくれた。雨の日に隣近所の洗濯物を代わりに取り込んであげる、なども普通にあったし*2、所用で自分の子どもの面倒を見れないようなときに、近所の知り合いに子どもを預ける*3などもよく聞いた。プライバシーの侵害ともいえる口さがない噂話も、ある面においてはコミュニティ内のメンバーの状況確認(時には生死確認)につながっている側面もある。田舎において、ある人の状況や安否は必ず別の誰かが何らかの形で知っている、という状況が成立する。

私自身、個人的にはプライバシーの尊重を重視するとか、団体行動が苦手とかいう、反共同体主義とでも言おうか、そういう性格ではあるものの、共同体主義の立場や共同体主義が大事にしようとしているものには、十分シンパシーを感じる。私の故郷においても、健全な形で共同体志向を守り、継続させていってほしいと思う。もちろん田舎のコミュニティに改善すべき点が多々あるのは前提として。(どこをどう改善すべきか、については次回の記事で)

*1:「お前は理系大学と大学院に進んだのではなかったか?」と言われそうだが、私の大学以降の高等教育事情は少し複雑なので、別の機会にその辺りについては丁寧に記したい

*2:都会の人から見れば、過剰な親切、プライバシーの侵害と捉えられるかもしれない・・・

*3:都会で近所の人にそんなお願いをしたら「頭がおかしいのか」と思われるのがおちだし、依頼する相手が仲の良い友人だったとしたら、交友関係にひびが入ると思う・・・

私が生まれ育った故郷(田舎)におけるプライバシーの概念 とは

私が生まれ育った故郷の情景を今一度思い出してみる -続き - salmontiskunの日記をもう少し突っ込んで、私の故郷の情景をもう少し突っ込んで考えてみたい。

自分の一挙手一投足が町の人たちに知れ渡る

基本的に田舎ではコミュニティ全体が顔見知りである。見知らぬ人が私の故郷で見かけられることがあったらとても目立つし、コミュニティ内の噂話でその人の振る舞いの一挙手一投足がすぐに知れ渡る。
もちろん、外部の人間であっても明らかに観光客の装いをしている分には、コミュニティ内であっても噂の種になることはない。私の故郷は日本屈指の清流の存在が有名な地域で、夏場には都会から多くの観光客が、川遊びやキャンプを楽しみに訪れる。観光客が清流で観光客らしく節度を保った振る舞いをしている限りにおいては何の問題もなく、観光客その他大勢として扱われる。その他、警察官や、電力会社関係など、明らかに専門職と思われる外見で、羽目を外した振る舞いをしない限りは、まず噂の種になることはないと思われる・・・が、私の場合はそうはいかない。

帰省の度に、私がいつどこにいたか、いつ誰と会ったかという情報が、かなりの正確性で知れ渡るのだ。たとえば地元の友人に会った際に「〇月〇日に、××小学校ににいたんだって?」など言われるとか。また、私の親から「坂本さん(仮名)から聞いたけど、あなた今日△△を歩いていたの?」と問われるとか。もはや最近は驚くこともない。

私は、実家の両親や親せき、知人に会い、旧交を温めるために帰省する。また、時間に余裕がある際には、普通の観光客がまず訪れもしないような場所*1を、過去を懐かしみながらゆったりとした足取りで散歩したりもする。要は、観光客がまずいかない場所を訪れているのだ。
地元民であれば、どこにいても目立つことはないだろう。が、私は違う。とにかく目立ってしまう。

私は18歳の時に故郷を離れたが、田舎ではまだ一部に顔が覚えられている。半分田舎のコミュニティのメンバーであると同時に、半分余所者という中途半端な存在なのかもしれない。私は、元々は地元コミュニティの紛れもない成員であったこともあり、余計に、昔をよくする私が、東京でどのような生活の基盤を築いているか、と興味が尽きないのだと思う。

また、要するに暇、というのもあるのだろう。娯楽が少なく、日々の生活にそれほど変化のない田舎暮らしにおいて、何らか普段と違う出来事があれば、その話題で持ちきりになるのも普通に想像できる。特に田舎は高齢者が多く、高齢者は都会においてすら暇を持て余す、と聞くし。

そもそもプライバシーの概念が異なる

やはり田舎と都会で、プライバシーの考え方がそもそも異なるのだ、と思う。
幾つか例を挙げてみよう

  • 家に鍵をかけない・・・これは有名な話である。私の故郷の実家もごく最近まで実家に鍵をかけていなかった*2。母と仲の良い農家が、勝手に家のドアを開けて、玉ねぎやじゃがいもを置いて行ったりすることも普通にあった。
  • 他人の家庭の状況を詮索、噂話にする・・・もちろん都会にも噂話好きの人はいるが、都会に比べて「人は人、自分は自分」という考え方が理解されにくい印象が田舎にはある。母の知り合いのケースをここで紹介したい。その知り合いは、夫が工場勤務で母が看護師という共働き家庭でかつ子供が二人いて、普段の家事がどうしてもおろそかになりがち、ということで外注できる家事はすべて外注していたとのこと。たとえば洗濯物はすべてクリーニングに出していたらしいのだが、周りからの陰口がひどかったのだ。「普段の洗濯物レベルでクリーニングに出すなんて母親失格!」とまで言われたそうな。

余計なお世話以外の何物でもない。周りに何の迷惑もかけていないし、自分たちの家計の許す範囲で家事を外に外注して、何が悪いのか。恐らく都会に住む多くの人にとっては理解不能だと思う*3

to be continued

*1:たとえば母校の小学校とか、今は亡き祖父母の家の近所とか、幼稚園の頃に友達と遊んだ児童公園とか

*2:集落内の近所のあるお家で泥棒騒ぎがあったとかで、最近は鍵を鍵をかけるようになったとのことだ。

*3:恐らく、田舎でも若い世代を中心に柔軟な考え方をする人たちは増えているし、このケースで言えば私の故郷でも「何が問題なのか?」と考える人は増えつつある、とは思う。そう信じたい。。

私が生まれ育った故郷の情景を今一度思い出してみる -続き

私が生まれ育った故郷の情景を今一度思い出してみる - salmontiskunの日記の続きである。

他の地域と比べればまだ開放的な田舎である

ただ客観的に見て、私の故郷は他の地域と比べて、極端に閉塞的でもな、排他的でもないという事実は明記しておかねば、と思う。私の故郷の名誉にかけて。
日本各地には、私の故郷よりももっと封建的で因習深い地域は未だに数多く残っているようだ。
農家の暗部 まとめは、少し誇張が過ぎるように思うが、それでも農村外から農家に嫁いだ女性たちが、農家のしきたりに合わせられずに苦悩する悲しい体験談は、Yahoo!知恵袋 - みんなの知恵共有サービス発言小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)等のサイトで、「農家の嫁」などのキーワードで検索をかけると普通にヒットする。
少なくとも私の故郷では、舅姑がよそ者の嫁をいびり続けるような家は、まず聞いたことがなかったように思う。「農家の暗部 まとめ」に描かれているような地獄絵図は聞いたことがない。もしそんな話があれば、噂好きの田舎者が黙っておくわけがないし、私の耳に入らないわけはない。また、土地柄もあるのか、離婚が一般的で*1、自分の人生をなげうってまで何かに尽くす、という選択を取る前に、さっさと離婚の選択を取る人が普通な気がする。

もともと私の故郷は、海外線付近まで急峻な山々がせり出し、太平洋との山々の間のわずかな平地に人間が密集しているという地理的に恵まれない地域であった。地元に残っても猫の額のような狭い田畑で農作業をするか、山で林業に携わるかもしくは炭焼きをするか、海で漁師をするか程度の選択肢しかなく、古くから外に出て、貧困から脱出しようとする者が多かったらしい。私の祖父母曰く、小学校を卒業後に京阪神、名古屋、東京などの大都市に働きにでるものはごく普通にいたとのこと。中には太平洋を渡って、アメリカ、オーストラリアに職を探しに行ったものも多くいたようだ*2

海を渡った私の同胞の中には、移住先で骨を埋めた者も多かったようだが、老後はやはり懐かしの故郷に戻って余生を過ごした者も多かった。
結果的に、私の故郷は、田舎で生まれ、田舎で育ち、田舎で死ぬという閉じた世界しか知らない者が大多数を占めることははなく、適度に外部の文化を経験した者が常に流入し続けてきたのだと思う。お陰で極端に閉鎖的でもなく、因習深くなく、またよそ者に対して過度に警戒的にならない文化が醸成されたのだと思う。

前回の記事で述べたが、サラリーマン家庭である私たちを陰で「自分たちとは違うもの」と悪く言うものもそれなりにいたが、それとて陰口に留まる程度で、面と向かって強烈に罵倒されるようなこともなかったし、村八分に至るようなことも考えられなかった。
私の故郷は、田舎といえど、幾分「リベラルな雰囲気がある田舎」でそれなりに余所者でも暮らしやすい土地、と言っていいと思う。

青年会、その他地域の活動に参加することが求められる雰囲気

「リベラルな雰囲気がある田舎」とはいえ、田舎は田舎である。
たとえば田舎によくある青年会、区民会、婦人会、老人会等々。私の故郷でも青年会、区民会への参加は強制ではないにしても、求められるようだ。
なお、私は青年会、区民会の存在を全否定しているわけではない。それぞれそれなりに存在意義もあるのだと思う、詳しくはよく知らないが。長年の惰性で続けている無駄な慣習や活動もあると想像するが、それでもたとえば年一度の祭りの準備、開催などは地域コミュニティへの娯楽の提供とともに、古くから伝わる伝統の継承、という重要な役割を担っていると思う。

・・・それでも、だ。
ここで、私が今東京から故郷に移住して、それらの会に勧誘されることを想像すると・・・確実に気が重いと感じるだろう。私は一人で時間を過ごすのが好きな性質だし、集団行動が得意ではない。地域コミュニティには何等かの形で貢献したいと思うが、できれば青年会に入らないという形態をとりたい。
なので、勧誘を断るという選択肢を取ると思うが*3・・・

  • 地域の同世代の仲間の殆どが入っている会に自分は入っていない
  • 周りが納得できるような合理的な入会拒否の理由が提示できない
  • 自分が入会を断ったという事実が、それなりに周りに広まる

という状況を想像するだけで、気分的に暮らしにくいと思ってしまう。

何というか、都会における趣味のグループ活動やサークル活動とは違う、「重さ」があるように思う。

私の考えすぎかもしれない。私の小中高の同級生で故郷で暮らしている友人の多くは、それなりに田舎暮らしをうまく乗り切っているように見えるし、中には数年前まで都会で暮らしてUターンして暮らしているものもいる。
私は彼らと良好な交友関係を未だ維持しているし、彼らも私の個性と田舎のルールがバッティングし、何らか軋轢を起こしそうなときには力になってくれるとは思う。

それでも、田舎特有の雰囲気に、東京暮らしに慣れた自分が、うまく溶け込めようになるまでは、大変な思いをするだろうと想像するし、その想像は恐らく8割以上の確率で正しい。と思う。

*1:我慢強くない地域性、ということの裏返しかもしれない

*2:以前私の母校の高校の同窓会名簿を見たことがあるが、遥か昔の卒業生にアメリカ在住の方々が多くいたのを知って、感慨深いものがあった。

*3:もちろん、加入が強制されているわけではない

私が生まれ育った故郷の情景を今一度思い出してみる

都会にあって田舎にないもの・・・ - salmontiskunの日記の続きとして、私が生まれ育った故郷の情景を今一度振り返ってみたい。

私が18歳まで生まれ育った地域は、「ザ・田舎」と言っていい地域だ。私が生まれた町の人口もこの数十年で半減してしまった。私の通っていた小学校も一クラス一桁になり、近隣の小学校と合併することになった。母校の高校も生徒数減のあおりを受け、無くなった。実家から歩いて行ける範囲の距離にスーパーは存在しない。いわゆる限界集落といっていい。住民の大半が高齢者で、仕事の多様性に乏しく、都会から若者に来て定住してもらうのも難しい。田舎で生まれ育った若者も、仕事やさらなる高等教育を求めて、高校卒業後に田舎を離れる。

都会=リベラル、田舎=保守 という構図は、基本的に世界中どこでも通用する真理と思うが、私の故郷も例外ではない。とても保守的な地域だ。

政治的に保守的

まず、政治的にも、保守王国と言われ続けてきた。
私が物心つく前から常に自民党の候補者が国政選挙に勝ち続けてきた。自民党国会議員*1が道路整備、公共施設建築などの利益誘導をもたらし、地盤を更に強固なものとしていった。老齢の私の親類曰く、昔は「選挙に行く」ということは、「自民党の候補者の投票する」ということにイコールであったらしい。最近は若年層を中心にそこまで政治的に保守であるという印象はないが、それでも私の故郷に住む者は、多かれ少なかれ直接的間接的に何等か自民党政治から依然利益誘導を受け続けている*2し、当面保守王国であり続けるか、と想像する。

コミュニティが閉鎖的、よそ者を締め出す傾向

次に、コミュニティの間での同質性圧力が強く、基本的に変化を嫌う傾向がある。新しい気風や考え方は受け入れられにくいのも事実だ。これは多くの田舎で共通する特徴だろうと思う。

忘れられない経験が一つある。
まず、私の実家は父が単身赴任で都会で大会社で働き、母は専業主婦で専ら家のことに従事するという、周りの家(大半は田畑を有する兼業農家)とはかなり異なった属性を持つ家であった。要は属性的に少し「浮いている」家であった。基本的に近所の人々のほとんどは気がいい性質で、普段のお付き合いにおいて大きな問題になるようなことはほぼなかったのだが、何か起こるたびに、「だからあの家は・・・よそ者で変わっているから」という微妙な扱いを受けた。
以前台風がもたらした大雨で河川が氾濫し、私の実家付近一帯床上浸水という大きな被害を被ったことがあった。どの家もまずは自分の生活を元に戻すべく、土砂に紛れた家財道具を廃棄しようと復旧に励むことになった。ただ、私の実家はそもそも属性が農家でなかったため、スコップもリヤカーもなく、復旧しようにも自ら何もできない、という状況だった。
そこで、近所の世帯に「お宅の世帯の復旧作業が一息ついたタイミングで、幾つか道具を貸していただけないだろうか?」と依頼した。その時は快く貸していただき、あとでお礼の品をお渡しし、それで一件落着と思っていたら、後に私の近所の間で「スコップもリヤカーも持ってないなんて、あの家はやっぱり変だ」といううわさが出回っていた、と人伝で聞かされる羽目になった。
その時、「やっぱり我々は一種のよそ者としてずっと見られ続けるんだ。陰口をたたかれ続けるんだ」と少し落ち込んだ。悲しみはなかったが、虚しさとか諦めのようなものは感じた。
(次に続く)

*1:ちなみに、私の故郷の衆議院議員は、中央政界でかなりの地位にまで上り詰め、それなりの権力を行使可能な立場にある

*2:たとえば、人口がとんでもない勢いで減少し続けているというのに、高速道路の整備計画が承認されている。私にとっては帰省時の実家へのアクセスが改善するため、ありがたいが、日本国全体の財政状況を考えると申し訳ないと思う・・・